茨城県北クリエイティブプロジェクト

ワタシハ道具ニナリタイ / 連載・生きるための道具 #03 (生活芸術家・石渡のりお)

石渡さんは現地にある暮らしの素材をコラージュして作品をつくるアーティストです。パートナーであるチフミさんとともに世界中を旅しながら作品を発表。この数年は国内複数箇所の空き家に住みつつ、移動しながらユニークな手法で制作をつづけています。 また、2017年4月から北茨城市の地域おこし協力隊として、旧富士ヶ丘小学校に設置されたシェアオフィスを拠点に活動中です。3月中旬に開催された「桃源郷芸術祭」にも参加され、自身の手で改修した築80年の古民家をギャラリーにしたてた「ARIGATEE」で作品を発表されています。

生活芸術家・石渡のりおさんの連載「生きるための道具」第3回をお届けします!

何もないところにあるモノ

「芸術の郷(さと)をつくる構想があります。その地区の古民家を活用してみませんか」

北茨城市役所からそんなお誘いを頂いたのは、昨年(2017年)の5月、地域おこし協力隊として着任後すぐのことでした。

さっそく市役所の担当者とともに訪れました。シェアオフィス・アトリエのある富士ヶ丘のずっと奥「揚枝方(ようじかた)」は、まさに里山。そこで、赤い屋根の古民家に出会ったのです。

赤い屋根の古民家 裏からの様子

妻のチフミは、ぐるりと家を一周すると

「わたしこの家好き。やろうよ」

と考える間もなく即決したのです。

北茨城市富士ヶ丘 揚枝方

北茨城市は、名前の通り、茨城県の最北端に位置します。山を越えれば福島県いわき市。太平洋に面した海と、市面積の70%にも及ぶ山林が広がっています。

昨年10月から、冒頭で書いた赤い屋根の古民家の改修をはじめました。改修後は北茨城市が運営する芸術活動拠点施設になる予定です。

揚枝方築地区にはお店がなく、ここから奥地へ用がある人は、そこに住んでいる人以外ほとんどいません。ここはいわゆる「何もない」場所。けれども「何もない」とはインターネットで検索されたり、ブログやWEBマガジンで言及されていたり、とうぜんSNSでシェアされるようなものが「何もない」というだけのこと。インターネット上の情報が「何もない」場所にこそ、楽しむ余地があるのです。

愛知県で3軒の空き家を改修した経験から分かったことがあります。

空き家を改修することは、建物を再生すると同時に、その家に蓄積された暮らしを紐解くことでもあるのです。

この古民家の元家主、有賀さんと知り合うことができました。古民家に残った荷物を整理するために訪れていたのです。

60代半ばの有賀さんは、かつて市役所で働いていて、測量などをしていたそうで、地域のことや山のことをよく知っていました。

有賀さんのガイドで周辺の山をハイキングしたときのこと。登山道ではない川沿いを歩いて、木や草の名前、けもの道や炭焼きをして移動した人々の痕跡などを教えてくれました。かつては、今よりも、もっと多くの人が山に入って仕事をしていたそうでした。生活に必要なモノすべては自然を利用して手に入れていた時代が、そう遠くないむかしにあったのです。

北茨城市には、千メートル級の山はありません。けれども、誰かがつくったのではない、野生のルートには、ありのままの自然の姿がありました。有名な山でなくても、高い山でなくても、そこに自然を楽しめる余地があることを思い知らされました。

名前のない場所を歩くハイキング

この連載をはじめるとき、県北クリエイティブの編集チームが紹介してくれた茨城大学の民俗学の先生が引用した言葉を思い出しました。

「記録に何にも表れない人の生活というものが、日本には80%以上あるんですよ。悪いこともいいことも両方ともしなけりゃ、記録に残りゃしないですからね。つまりうずもれてしまって一生終わるであろう、訴える道がなくて、犯罪もしなければいいこともしないでいるっていうような人がね、ただ何となく息すっていくのを惜しがって。それに関する知識を残そうとしたのが、フォークロア(民俗学)という言葉なんですよ」

民俗学の開祖、柳田國男が、そう語っていたことを教えてもらいました。

自然と人の暮らしのバランスのなかで、役に立つ道具になりたい

有賀さんに炭焼きを教えてもらったときのこと。田んぼを日陰にしている木を伐採しようと、倒れる方向を工夫したのに、結果的には、田んぼの中に倒してしまいました。

有賀さんは、

「いやいや、自然は思い通りにコントロールなんてできねえな。人生と同じだっぺ」

そう言って笑っていました。

「公共の宿マウントあかね」に有賀さんがつくった炭焼き小屋

有賀さんは子供の頃の話をしてくれました。森で仕事をする大人が多かったので、子供たちは真似をして、学校に行かずに“森学校”のなかで炭を焼いて遊んだりした、と語ってくれました。

父親と一緒に裏山に杉の苗を植えた思い出も話してくれました。戦後まもなくのことです。戦中の必要物資として大量な木材が必要とされたために、日本の山林は伐採され荒廃してしまいました。その伐採跡地を緑化するために戦後、植林政策が進められました。

特に、昭和30年代以降には、石油、ガスへの普及によって薪炭の需要が低下していきました。また高度経済成長の下で建築用材の需要が増えていき、薪炭林等の天然林は、人工林に変えられていきました。山に木を植えれば、将来、資産になると。そう誰もが信じて、山に木を植えない人なんていなかった、と教えてくれました。

だから、今現在、どこまで行っても、見渡す限りの山奥まで針葉樹林が広がっているのです。けれども、前の世代のバトンを、ぼくたち世代は受け取ることができず、多くの森林は手を入れられないままになっています。

古い家に足を踏み入れ、そこで出会うヒト・モノ・コトを体験したとき、タイムトラベルして、あのときのあの時代、ああすればよかったかもしれない、という分岐点に立つことができる。

ぼくのいる場所から、夜の空には、とてもたくさんの星が見えます。毎日、何ひとつ遮るモノもない広い青空が見えます。北茨城市磯原の国道6号線沿いの二ツ島が現れるところから、海と水平線が見えます。

当たり前にあるモノ。それらが失われたとき、ハッと気がつくのです。そうなる前に、自然と人の暮らしのバランスのなかで、役に立つ道具になりたいと思うのです。人間こそが、この社会と自然環境のあいだをつくる「生きるための道具」なのです。

石渡のりお
1974年、東京生まれ。音楽イベントの制作、アーティストマネージメント会社を経て、芸術家として独立。結婚を機に夫婦で檻之汰鷲(おりのたわし)としてアート活動を始める。2013年、世界5か国に滞在しアート作品を発表。ザンビアで泥の家を建てたのをきっかけに帰国後、日本国内の空き家を旅する。2016年ニューヨークで個展。2017年初の著書『生きるための芸術』を出版。現在、北茨城市を拠点に「芸術によるまちづくり」実践中。

http://orinotawashi.com/

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