茨城県北クリエイティブプロジェクト

百年前のオフグリッド/ 連載・生きるための道具 #04 (生活芸術家・石渡のりお)

石渡さんは現地にある暮らしの素材をコラージュして作品をつくるアーティストです。パートナーであるチフミさんとともに世界中を旅しながら作品を発表。この数年は国内複数箇所の空き家に住みつつ、移動しながらユニークな手法で制作をつづけています。 また、2017年4月から北茨城市の地域おこし協力隊として、旧富士ヶ丘小学校に設置されたシェアオフィスを拠点に活動中です。3月中旬に開催された「桃源郷芸術祭」にも参加され、自身の手で改修した築80年の古民家をギャラリーにしたてた「ARIGATEE」で作品を発表されています。

生活芸術家・石渡のりおさんの連載「生きるための道具」最終回をお届けします!

戦時中の日常

「何だ、これは」

改修の様子を見にやって来た市の職員が、薄暗い棚の片隅に古びた小さなカバンをみつけました。おそるおそる開けてみると、なかから手紙が出てきたのです。

カバンから出てきた手紙

元家主の有賀さんを訪ねて、この手紙について聞いてみると、こんな話をしてくれました。

「これは叔父に宛てられた手紙だよ。叔父は学校の教員だったんだ。自分が送り出していった子供たちが、戦地や新天地から手紙を書いて寄こしたんだ」

赤い屋根の古民家は、明治から昭和の暮らしを伝える道具で溢れていました。けれども、それらは使われなくなって久しいものばかりで、どうやって使われていたのか、東京で育ったぼくにはわかりませんでした。古民家を改修しているあいだ、様子を見にきてくれた有賀さんや近所の人にひとつひとつその役割と名前を教えてもらいました。

古民家にあった民具を展示した様子 左 唐箕(とうみ)/右下 日立製の脱穀機

唐箕は、風力によって穀物を籾殻・玄米・塵などに選別するための農具で、どこの農家にもあったとのこと。多くの場合、木製のものは処分してしまったそうですが、なかには、機械の道具に比べて、手作業は丁寧な仕上がりになるので今でも蕎麦の実を加工するときに重宝していると教えてくれた人がいました。

脱穀機は、収穫した米などの穀類を稲の茎から外すための道具。子どものころに手伝いでやらされた、と何人ものひとが話してくれました。50年前には、主な動力が動物や人間だったので、老人、親戚、子供、近隣の方々の手も借りて、みんなで農作業をしたそうです。途方もない時間がかかり苦労の多かった作業を、ここにある道具たちが助けてくれたと愛おしく話していました。

大正15年の水力発電

ある日、古民家の電気工事の立ち合いに来ていた市の職員の方が気になることを言いました。

「このあたりは大正時代のころに”自家発電”していたらしいんだよ」

環境資源への意識が高まったいまなら、オフグリッド(電力会社の送電線と繋がっていないこと)や自家発電という言葉をよく耳にします。しかし、100年も前にこの場所でそれが実践されていたことに、ぼくはとても驚き、調べてみることにしました。

実際に発電していた家に嫁入りしたスミちゃん(78)の話。

「おらのじっさまは、豊太郎っていって偉かったんだ。裏山を売ってさ、そのお金で大阪まで行ってタービン買ってきて、発電して村の人たちに電気を分けていたんだ。おらが嫁に来たときまだあった。田んぼで、”幻燈会(上映会のこと)”やったりして。山向こうから電気を使いに米を運んできた人たちもいた」

考えてみれば当然のことなのですが、電力会社が送電インフラを整える以前、電気が必要だと思ったら“オフグリッド”という選択肢しかなかった。「ないなら、自分たちでつくろう」。そんなDIYの発想が先にあったわけです。

有賀さんは、赤い屋根の古民家に伝わる資料を、古くは明治18年の日記まで保管していました。揚枝方に電気が通ったときの昭和36年の新聞を探し出して見せてくれたのです。

昭和36年 電気産業新聞 揚枝方の様子を伝える貴重な資料

電気記念日の感慨を人一倍身にしみて味わったのは、北茨城市関本町の揚枝方の人々だ。長かったランプ生活、自家発電生活に別れを告げ、晴れて電気の導入をできたこれら部落の人たちにはわれわれの想像をはるかに上回る感激と喜びがある。(中略)この部落は、まったく電気を知らないわけではない。

明治の末には登場した「電気」という便利なものを部落にも導入したいと豊田豊太郎さんは考えた。彼が中心となって組合をつくり、大正15年に発電し、揚枝方に電気が灯った―。新聞にはそう書いてありました。

有賀さんは、教員だったおじさんの思い出をこう語っていました。

「叔父は、子供の頃、夜が明ける前に家を出て、学校へ行くために10キロ以上も離れた駅まで歩き、始発の電車に乗って水戸まで通ったんだ」

地域のことを知ることは、そこにある資源を知ることでもあります。資源とはいまあるものだけではなく、昔あったものもそのひとつです。農村に生まれ教員になった有賀さんの叔父さんが、勉強をするために十キロ以上も歩いて学校へ通った子ども時代、さらにそれより前の時代の水力発電の試み。いまより、もっと困難が多かったにもかかわらず、当時の人は自力で暮らしをつくりあげてきました。

この話は、特別なことではないと思うのです。目の前の景色はずっと同じではない。当たり前だった光景は、時と共に懐かしさに変わり、懐かしさはやがて失われていく。けれども、いつの時代にも、生きるためにされてきた努力と技術があったのです。

ぼくが北茨城に来たのは一年前。この土地にさしたる縁があったわけではありません。自然と人の暮らしについて試行錯誤しているうち、「芸術によるまちづくり」を目指す北茨城市にたどり着きました。

目立った観光資源がなくても、過去から現在までの数多の人生があります。そこに注目し、耳を傾ければ、そこに蓄積された時間を遡って自由に旅することができます。家に刻まれた痕跡を読み解くことができれば、現代の暮らしに取り入れられる発想や技術が見えてくる。日々の暮らしのなかに現れる芸術。それが「生活芸術」なのです。

石渡のりお

1974年、東京生まれ。音楽イベントの制作、アーティストマネージメント会社を経て、芸術家として独立。結婚を機に夫婦で檻之汰鷲(おりのたわし)としてアート活動を始める。2013年、世界5か国に滞在しアート作品を発表。ザンビアで泥の家を建てたのをきっかけに帰国後、日本国内の空き家を旅する。2016年ニューヨークで個展。2017年初の著書『生きるための芸術』を出版。現在、北茨城市を拠点に「芸術によるまちづくり」実践中。

http://orinotawashi.com/

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