茨城県北クリエイティブプロジェクト

青い傘の“記録”|“クリスト”という事件 #01

里美の真ん中で地域づくりに懸命に取り組む岡崎靖さんは、20年前に里美にきた移住者だ。クリストが里美で青い傘を開かせていたとき、天の邪鬼な性分の岡崎さんは里美に足を運ばなかった。クリストを直接知らないからこそ、“クリスト”という事件を客観的に振り返ることができるんじゃないか。里美にとって“クリスト”とは何だったのか。地域とアートとの幸せな関係とは。記録を探り、そこに暮らすひとへの聞き取りから、ヒントが浮かび上がってくるかもしれない。(編集部・中岡)

連絡用のFAX紙一枚すら作品である

当時のことを知っているひとびとに話を聞く前に、資料に目を通しておくことにした。

プロジェクトに関する公的な記録は、当時の里美村役場、現在の常陸太田市市役所・里美支所に記録集としてただ1冊残っている。そこには1984年にクリストが「アンブレラ」を思いついた時のデッサンから、場所を茨城県の里美村、日立市、常陸太田市の里川沿いに決めるまでの視察写真、当時の県知事や各自治体の首長、担当各所との会議の様子、許認可を得るための書類の数々、アンブレラ本体の設計書や強度計算書、設置確認データ、地域説明会、地域の人たちへの説明行脚、地域の子どもたちへの説明、台風の影響から傘を開くタイミングに苦悩する姿、記者会見の様子、そしてやっと開いた傘の美しい光景とそれに寄り添う人々の笑顔、アンブレラを設置するための1991年の実現…。このプロジェクトのはじめから終わりまですべての記録が収めてあった。

クリストは自身の作品を「一時的芸術作品」と呼んでいた。その中には、アンブレラそのものだけでなく、プロジェクトの構想から実現、撤去までのすべてが含まれている。ということは、いま私の手元にある記録集もまた芸術作品の一部であるといえる。たとえそれが連絡用のFAXだとしても、1枚1枚が作品なのかもしれない。

記録集のなかに、クリストの真摯な人柄を表す一枚の写真がある。

「アンブレラ 日本―アメリカ合衆国、1984-91」 公式記録集の中にあるクリストと土地の人達の交流の数々

畑で作業をしている腰の曲がったおばあさんに、自分も同じくらい腰を折り曲げてプロジェクトについての説明をしている写真である。

その時私は、2016年10月に水戸芸術館で開かれた「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-1991 ドキュメンテーション展」で上映していたドキュメントフィルムでのクリストの言葉が写真の中から聞こえてくるような感覚を覚えた。

「私の作品をあなたの土地に3週間だけ飾らせて欲しいのです。高さ6m広さ8.66mの青い傘です」

クリストはこの言葉を、459人の地権者、その家族、出会った小学生にまで、誰とも隔てなく話して回った。

また地元の中学生を前に講演などを行い、プロジェクトの説明はもとより自分の生い立ちなどを話題に入れながら芸術を身近に感じてもらう啓発活動も行った。

これらの出会いの中から、クリストを信頼して住居を貸すひとも現れたという。のちの陣場地区の、「クリストハウス」である。

地域を巻き込み、プロジェクトが自分ごとになる

クリストが地域を回りながら着々と傘が開くその日に向けて”制作活動”をしているころ、会場となる自治体はどんな対応をしていたのだろう。そんな想いを持ちながらページをめくっていく。すると「クリスト・アンブレラ展開催対策連絡協議会会議次第」という資料を写したページが出てきた。構成メンバーは、県、警察本部、会場となる市町村、財団法人グリーンふるさと振興機構、茨城県観光協会。内容は傘が開いたときに起こりうる、交通渋滞、トイレ問題、空き巣、近隣トラブル、あやかり商売等々への対策。アーティストがプロジェクト成功に専念できるよう、バックアップ体制を整えたのだ。

当時の里美村の動きをひも解く手がかりとして、村の広報紙「広報さとみ」の縮刷版を調べてみた。

平成3年度の里美村村報「広報さとみ」は毎号アンブレラ展関連記事が掲載された

予算はクリストアンブレラ展推進事業費として474.3万円を計上。平成3年6月に当時の村長を会長とし、役場関係、警察関係、村内各種団体、地区代表者など総勢67名の「アンブレラ展連絡協議会」が設立され、交通対策、環境対策、地域活性化対策などを協議する組織が設立された。

里美村としても全村をあげたバックアップ体制が整った。

クリストと出会い話を交わしたことのある人たちは、親しみを込めて「クリストさん」と呼んだ。

傘の設置をするために用地交渉をした日本側の地権者は459人、アメリカ側の20倍近くの人数、その人一人一人に説明をしに行った先で出されたお茶は延べ6,000杯という。

また、プロジェクト実現のために交渉した日本側の行政機関や団体は、建設省、外務省、茨城県庁、常陸太田市、日立市、里美村、警察署、農協、漁協など19団体。

途方もないほどの時間を要する地道な説明をクリスト個人が丁寧に尽くしていたことが、この壮大なプロジェクトを地域の人たちや会場自治体の「自分ごと」にしてしまったのである。クリストを中心にした「アンブレラのコミュニティ」が生まれていた。

次回はかつてクリストハウスがありジャンヌ=クロードが「シャングリラ」と呼んで愛していた、里美の陣場地区に資料集の写真に縁のある方や、行政担当として奔走した方に当時のお話などを聴きながら今の里美の様子などをお伝えしたいと思います。

茨城県日立市出身。山村での自然に囲まれた暮らしを求めて、平成9年に当時の里美村に家族と共に転入。3年後地元の酒造会社に蔵人として転職。酒造りを通して、水の大切さとそれを育む森林環境の重要性を知り、2002年森林インストラクターの資格を取得。森林(自然)と人をつなぐ活動を続けている。2015年3月13日、活動を共にしていた仲間と「合同会社ポットラックフィールド里美」を設立。フィールドマネージャーとして体験活動のコーディネート、プラン策定などを担当。山村の暮らしの中から、これからの地域の可能性を見出し世に送り出すことをミッションと課し活動している。

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