茨城県北クリエイティブプロジェクト

#05 この町の音は、海の音|海と山の間を歩く

海が見える料亭で

東日本大震災がきっかけで大きく変わった人生や場所は、この7年あまりで日本中にたくさんあるだろう。その変化は自分が望んで選んだことではない方が、ずっと多いはずだ。でも時間は流れていくものだし、人生は続いていく。

日立で70年近く続く老舗の料亭「三春」、そしてその三代目女将、渡邊映理子(わたなべ えりこ)さんもその一人だろう。

日立駅の東側、海沿いの旭町の高台から海を望むようにして建つ三春。どの部屋からも青い海が見える。

「その頃はまだ女将ではなかったのよね」と映理子さんはいう。ここは映理子さんの実家だ。

震災当時の三春は、二代目女将である映理子さんの母と板前さん、そして二番手の板前を務める映理子さんの妹が切り盛りしていた。結婚して日立市内に住む映理子さんは子育てをしながら、自宅でパン教室を開いたり、ケーキ屋さんに勤めたりしながら、映理子さんいわく「女将もどき」として三春を手伝っていたのだという。

震災の日、老舗料亭の食器や調度品、立派な玄関など大切なものはほとんど倒れ、崩れた。厨房にはお酒や調味料などの液体が多く、それらが全部倒れて、床はびしょびしょになった。その後、すぐに避難警報が流れたので、三春を母と妹に任せて、自宅へと向かった。潮が引いて、海が広い砂浜になったのだけを見た、と映理子さんは言う。

海沿いとはいえ、高台にある旭町は、幸いにも津波の被害は少なかった。しかし地震被害によるダメージは大きく、店は半壊し、営業は到底できない状態だった。

初代と三代目をつなぐ一品

震災から、すこし時代を遡る。

三春には「笹巻ごはん」という名物料理がある。これは戦後すぐに三春を始めた、映理子さんの祖母である初代の女将が笹鰻巻ごはんとして作ったものだ。もち米のなかに鰻をいれて笹の葉で巻いた、とてもおいしい一品だ。そしてこれは昔から、料亭に来るお客さんたちが、夜遅く帰る時に家族へのお土産として持ち帰る品でもあり、長らく日立の人々に愛されてきた。

今は鰻のほかに、地元のブランド豚「ローズポーク」を秘伝のタレで煮て入れた「笹ポーク巻ごはん」もある。

震災直前の日立市は、現在のガラス張りの見事な駅舎が新しくオープンするところだった。当時の日立市長はこの笹巻ごはんが大好きだったそうで、「新駅舎のオープンセレモニーで、これをおみやげにできないだろうか」と言われるほどだったと映理子さんは言う。

そしてオープンセレモニーで、来賓に笹巻ごはんが配られることになったのだが、震災によってそれが延期になってしまった。建物が半壊した三春も、しばらく営業できない状態が続いた。

料亭として営業できない今、みんなが大好きな笹巻ごはんの通販だけなら、なんとかできるかもしれない。通販など、今までの三春では考えたこともなかったのだが、震災被害を逆手にとって、映理子さんは通販営業をやってみることにしたのだった。

「まずインターネットで宣伝をするところから、勉強をはじめて本当に大変だった」と映理子さんは笑う。

こうして笹巻きごはんの通販が始まった。そして三春の板前だった妹が、震災を機に東京へと引っ越すことになり、店を離れることになった。「おかみもどき」から、何の心の準備もないままに、いつの間にか、本当の女将になっていった映理子さんだった。

三春の歴史

戦後、復興期から高度経済成長期にかけて、日立鉱山や日立製作所には活気があった。日立には仕事がたくさんあり、全国から人が集まってきて、とても活気のある街だった。一時期は茨城県で最も人口が多い市だった時もある。

映理子さんの祖父もそうして県外から日立にやってきた一人だった。土地を買い、妻、つまり映理子さんの祖母に持たせたお店が三春だった。

「ちょっと一杯のんでけ屋 三春」という小料理屋から始まった三春は、すぐに評判の店になり、やがて街を代表する大きな料亭となっていった。

町が賑やかだった頃の三春を、映理子さんはよく覚えている。大きな会社の会合や医者の会議など、夜毎にお偉いさんが集まるお座敷。美味しいお料理にお酒、芸者さんも呼ばれる華やかな場所、それが「三春」だった。

お客さんだけではない。お店で使う着物や番傘などの品々を持って、全国から来たさまざまな商人が、しょっちゅう店に出入りしていた。

そんな人々に囲まれて、大人の世界を見て育った映理子さん。

毎日夕方になると、その晩の三春に来てもらう芸者さんを入札しに、芸者置屋に行く仲居さんについて行ってその様子を眺めたり、働く前の芸者さんと一緒に近所でラーメンを食べた。そんな放課後をすごして大きくなったのだ。

それだけではない。部屋の中を完璧にきれいにするお掃除から、立ち居振る舞いまで、お店で働く人たちの姿から、たくさんのことを教わった、と映理子さんは言う。

お茶を淹れてくれる映理子さんの姿や、美しく整えられた三春の空間を見ていると、70年間という店の歴史が浮き上がってくるような気がするのだった。

 父の存在

映理子さんの父は芸術家である。1960年代から日本の現代美術の第一線で活躍する一人として、ヴェネチア・ビエンナーレをはじめ、国内外で、斬新な彫刻や絵画の発表を続けてきた。私にとっても憧れの芸術家の一人だ。その父から受けた影響は大きい、と映理子さんは言う。店に置く物の選び方や、お料理の盛り付けなど、人をもてなす空間を作る人として、父のエッセンスは映理子さんにも受け継がれている。

今の三春の建築は、父が監修している。時代を経てもなお良い、というのはまさに三春のような空間のことを指すのだろう。どの部屋からも、青い海が見えるし、微妙に幅を変えている繊細な建て具から差し込む光も、芸術家が計算したものなのだろう。当時としては珍しい天井に埋め込まれた室内灯や、外国製の家具など、和の空間に絶妙のバランスで設置されているものもある。地震で古びてしまった京壁も、ここの歴史の一部に思える。

料亭に置かれている物も、厳選しているのだろう。どれもすてきな骨董品や美術品ばかりだ。三春は美味しいご飯とともに、目のご馳走もたくさんある空間なのだ。そして部屋の隅には、さらりと大御所の作品が置いてあったりする。

私がその作品をしげしげと見ていると「その作家さん、昨日、父に会いにここに遊びに来たばかりよ」と映理子さんは、にこにこしながら言う。「ええっ!?」と驚く私に、映理子さんは、もうちょっと昔は、父の友人の芸術家たちが、みんなでここに泊まりに来たものよ。とますますびっくりするようなことを言う。

映理子さんの父の活躍を考えてみれば、それはそんなに不思議なことではないのだが、それでも、日本を代表するような芸術家たちが、東京からこの座敷に集まって飲んだり、泊まったりしていたなんて! そんな場所がずっと昔から日立にあったなんて。やっぱりちょっと驚きだ。想像すると、ちょっと興奮してしまう。

そしてそんなことが街の人に知られてない、というところが、これまた、すごくいいなあ! と、この美しい空間で海を見ながら、しみじみと思うのであった。

自分が三代目になってからも、父も母も店をよく見てくれている。と映理子さんは言う。父は新しく置いた調度品が気に入らないと、自分が気づかないうちに、いつの間にか隠してしまうし、母は足りないところにさっと花を生けておいてくれたりする。なんだかんだ言って二人とも、楽しんでいるんじゃない? と映理子さんは笑っていた。

好きなことをやる

いま三春の2階は、料亭ではなく、「miharu」というカフェになっている。震災を経て女将となった映理子さんが始めた、もう一つの新しいことだ。

女将を継ぐにあたって、一つだけ好きなことだけをやれる場所が欲しい、と思って始めたカフェ「miharu」。もともとおかし作りが得意である映理子さんのお手製のケーキや、美味しい飲み物をいただける。好きなアーティストを招いて展覧会やワークショップをしたり、映理子さんがみんなに食べさせたいフードとコラボしたイベントなどを催すこともある。料亭より少しフランクな場所だ。

料亭「三春」には70年続いた歴史がある。これまでの女将たちが築いてきた三春らしさというものがある。でもカフェは、映理子さんが始めた映理子さんの城なのだ。

だけど映理子さんはこうも言う。「自分が始めたカフェも大事だけれど、料亭の方がもっと大事」

なんとなく、その意味がわかる気がする。料亭がある家に生まれ、震災を機に、期せずしてここに女将として戻ってきた。

「ここで生まれたのが大きすぎるのよね」とも語る映理子さんにとって、カフェ「三春」は、映理子さんが女将を、そして料亭「三春」が続いていくための、新しい、でも大切なピースなのかもしれない。

カフェの窓からは、蕾がついた梅の枝と青い海が見える。映理子さんのお気に入りの窓辺だ。3月になったら、きっと梅が海に浮かぶようにして見えるのだろう。

この町の音と言ったら、それはもう「波」の音だよね、と映理子さんは言う。毎日、水平線から日の出が見えるこの家で育った映理子さんにとって、海もこの料亭も、言うまでもなく人生のなかの当たり前な存在なのだろう。そしてそれは、なんと豊かな人生だろう、と私は思った。

梅がほころぶ頃に、もう一度三春に来てみようと思った。

 

 

三春・cafe miharu
所在地  茨城県日立市旭町2丁目8−14
連絡先  TEL 0294-22-1567 / FAX0294-22-1568
ウェブ  https://www.facebook.com/miharu.cafemiharu
営業日  水曜〜日曜、祝日(年末年始を除く)※月・火は定休日
営業時間 三春 11:30〜14:30、18:00〜21:30/cafe miharu 13:00〜18:00
L.O. 17時ごろ 前払い制
※三春は前日まで完全予約制

写真家。1974年生まれ。人々の日常、人間や自然の「移動」をテーマに、写真とテキスト、映像による作品を発表している。
主な個展に「The Second Stage at GG」#46 松本美枝子写真展「ここがどこだか、知っている。」(ガーディアン・ガーデン、2017)の他、「茨城県北芸術祭」(2016)、中房総国際芸術祭「いちはらアート×ミックス2014」など各地のアートプロジェクトにも参加。写真集に『生きる』(共著:谷川俊太郎、ナナロク社)など。

撮影:豊島望

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