茨城県北クリエイティブプロジェクト

#04 レジャーランドと、ある町の煙突|ケンポク切絵探訪記

県北、ひいては北関東の北部はどこも、東西の横移動がことのほか大変だ。南部であれば水戸から前橋へと至る国道50号を利用して、県央から県西まで混雑せずに平坦な道を快適に移動できるし、高速道が開通したことでよりスムーズになった。ただ、それは関東平野の北端すれすれを通るからであって、少しでもその北の方から東西に移動しようものなら、険しい峠越えを覚悟しなければならない。裏を返せば、物理的な断絶のおかげで、北部には文化的な固有性が残っているように思う。

大子をあとにしたぼくらは、日立の海を目指して東へと向かった。そういうわけでひとっ飛びというわけにはいかない。日中でも仄暗い林道を上がったり、下がったり、右へ左へくるくるとハンドルを回しているだけでとことん疲れる。途中、好奇心をそそられる寺社や祠、建物が散見されるが、時間の余裕がなくなってきたのでパスして通過。水戸駅に18時に戻る、というリミットをうっかり忘れていたので、いちいち立ち止まるわけにもいかなくなったのだ。気になったところすべてに向き合うことができなかったのは少し残念ではあったが、日立に至るまでの途上でいくつかのスポットに立ち寄ることができた。小林敦子さんが顔をほころばせながらスケッチしていた。それらについては最終回の番外編でお届けしよう。

越境して日立市の看板が現れてからも長い下り坂が続いていた。我慢しながら下るうち、視界が徐々に開け、空気のとおりが良くなってくる。ああ、ここは日立だな、と思う。けして潮の香りがなくとも(夏はそれが日立の匂いだ)、地平線がわからなくても(日立の高台に上ればどこからでも地平線を望むことができる)、空気の肌触りだけで海と山の近さを直感することができる。それが日立である。

さらに下っていくと、遠くの丘の上に観覧車が見えてくる。

中岡「あれはかみね公園。遊園地もあるんですよ」
小林「写真では知っていたけど、実際に行ったことはないなぁ。動物園もあるんですよね」
中岡「そうそう、ぼくの兄が遠足でここに来たとき、担任の先生がゴリラに糞を投げつけられて、顔にあたったんですよ」

かみね動物園にはアキとダイスケという二頭のゴリラがいた。ぼくが小学校の頃はここで飼育されていたはずだが、調べてみると、この数年のうちに30歳前後で天に召されたという。だからいまはもう、ゴリラはいない。

昔から動物園という場所は嫌いじゃない。ただ、珍しい生きものを見ることができるすばらしい場所だと思う反面、動物たちにとってはさぞ窮屈だろうと同情する気持ちもある。そんなアンビバレントな気持ちで、いつも落ち着かなくなる。それでも、と思う。温暖な日立の、海の見える丘にあるこの動物園の動物たち、30年前に兄の担任を糞まみれにしたゴリラは、少しは晴れやかな気持ちで一生を終えることができただろうか。

かみね公園の一角にある吉田正記念館そばの駐車場に車を停めて、あたりを散歩することにした。15時を過ぎて陽の光は傾いていたが、あいかわらず空気は澄み渡り、東西南北を遠くまで見渡すことができる。せっかくだから展望台に上ってみることにした。山側に視線を移すと、煙突が見える。かつての「大煙突」である。

1900年代、日立の山側は「鉱山王」久原(くはら)房之助による鉱山経営により急速に開発され、全国でも指折りの銅山として大量の銅を産出していた。その一方で問題となったのは煙害である。銅を精錬する過程で発生する亜硫酸ガスが、鉱山周辺の集落の農作物を枯れさせ、ほとんどの山をはげ山にしてしまったという。鉱山にほど近い入四間村(現・日立市入四間)では栃木へ集団移転することも検討されたほどだった。その入四間の青年、関右馬允(せき うまのじょう)は被害の状況を克明に記録、観察し、それをもとに久原鉱業に対して交渉を行った。彼の粘り強い努力によって、久原鉱業は亜硫酸ガスを上空150mで拡散するための大煙突の建造を決めた。結果、煙害は防がれたという。

新田次郎の小説『ある町の高い煙突』はこの実話を題材としており、主人公の関根三郎は、関右馬允本人をモデルとしている。

ぼくはこの小説を3年ほど前に再読したことがきっかけで、地元でできることはないかと思うようになったのだが、企業と住民が力を合わせて建設した大煙突が公害を防いだという話に感動したのではなかった。小説には、高校時代に慣れ親しんだ日立のなつかしい町名が数多く記載されていた。宮田川、神峰、入四間、小木津、本山…。当時は素通りしてしまっていたそれらの場所を舞台に、いきいきとした小説世界が成立している。ぼくはそのことに、心が動かされたのだった。うまくいえないが、『ある町の高い煙突』という物語の延長に、自分が存在しているような気がしたのだ。

… そんな話を小林敦子さんにとうとうと語ったところで、夕闇が降りてきた。ぼくらはそろそろ移動しなければならなかった。

 

絵・小林敦子
編集/文/写真・中岡祐介(三輪舎

小林 敦子(こばやしあつこ)
1989年岡山生まれ。筑波大学芸術専門学群美術専攻特別カリキュラム版画卒業。2014年よりフリーのイラストレーターとして活動。切り絵や水彩で身近なモチーフを描く。料理と植物とDIY好き。ktasybc.tumblr.com
中岡祐介

株式会社三輪舎 代表取締役、編集者。1982年、茨城県ひたちなか市生まれ。県北との縁は、ほとんどの同級生が通う水戸を避けたかったために日立の高校に進学したことからはじまる。2014年、「暮らしのオルタナティブを発信する」をミッションに、出版社である株式会社三輪舎を設立。現在は横浜に拠点を置きつつ定期的に茨城に通っている。
三輪舎 3rinsha.co.jp

Topへ