茨城県北クリエイティブプロジェクト

#02 桃源郷で“記憶”をめぐる|連載:クリエイティブのフィールドワーク

クリエイティブのフィールドワークと題して、前回から連載をはじめている。フィールドワークとは、文字通りフィールドつまりは現地に赴き、各々が“ある視点”に基づいて、物事を見聞きし、それを記録しながら文脈を全体的に理解しようとする行為。僕の場合は、ひとりのクリエイターとして、何に興味が湧くのか、面白がることができるのか、といった視点を持ち、プロセスも含めてこの連載でクリエイティブな読者のみなさんと共有したいと思っている。現地主義な自分に少し熱苦しさも感じているのだが、何もそれは教条的なことではなくて、やはり現地で起こること、見聞きすることが面白いからだ。自分の想定が裏切られる、超えられることに、無性にワクワクしている。

個人の最古の記憶をめぐる旅

数年前から構想していた個人プロジェクトを、今年から本格的にはじめることにした。プロジェクトの内容は、個人の最古の記憶をめぐるといったもので、憶えている限りいちばん古い記憶の情景や断片を個人に語ってもらい、その肉声を録音し、その後にポートレイト写真を撮影するといったシンプルなものだ。さまざまな地域を風のように訪れ、記録していきたいと思っている。これは、普段から仕事で行なっている、インタビューとあまり変わりはないが、事実や史実を聞き回りたいわけではない。むしろ、あいまいなものにこそ興味がある。試しに、自身の最古の記憶を思い起こしてみれば分かるが、その記憶は、あいまいなことも多い。親から聞かされたことが映像化して、まるで自らが見た光景のように記憶されていることもあるし、幼少期の写真のイメージと混在しているのかもしれないし、人によっては前世の記憶が残っていることもあるのかもしれない。また、一見あいまいな記憶ではないようでも、あいまいさを補うために、無意識に創作があてがわれることもあるように思う。古い記憶であればあるほど、事実と事実にもとづいた創作との境界線はあいまいになる。だが、そのあいまいさに人間という存在の面白さや秘密が潜んでいるような気がしている。「あなたのいちばん古い記憶を教えてください」僕が投げかける、漠然としたこの質問は、何か目的のある情報を、ないしはすぐに価値化できるものを聞き出そうというものではなく、あいまいさや、誰しもが人生に抱えている未知なる領域を、できれば全体像そのままに記録していこうとするものだ。

桃源郷、揚枝方集落で

はじめれば、どこまでも終わりがないようなこのプロジェクトをはじめる場所は、茨城県北と決めていた。そこで、北茨城市に住んでいるアーティスト、石渡のりおさんに協力を仰いだ。以前、このウェブサイトで連載も書かれていたが、石渡さんは、奥さんのちふみさんと一緒に、“生活芸術”というテーマを掲げ、檻之汰鷲(おりのたわし)というアーティストとして活動をしている。また、石渡さんは、北茨城市のアーティスト枠の地域おこし協力隊として、ホワイトキューブや業界の文脈に囚われない、広義でプリミティブなアートの可能性を、地域の中で探求している。そんな石渡さんに、今回のプロジェクトについてメールをすると、すぐに、面白そうですね!と返事をもらった。かくして、石渡さん夫婦が改築した古民家(これも作品)『ARIGATEE』に短期滞在をして、プロジェクトをはじめることとなった。

『ARIGATEE』がある、揚枝方(ようじかた)という集落は、市街地から離れた、一見ではたどり着けないような場所に、ひっそりとある谷間の小さな集落だ。その秘境的な雰囲気から、桃源郷に例えられることもあるとか、ないとか。そもそも、個人の記憶を扱うわけだから、集団やコミュニティとは無関係のように思うかもしれないが、逆に個人の記憶から、集団やコミュニティの記憶が透けて見えてくることも期待したい。集団に回収される個ではなく、個を通して見えてくる集団、コミュニティ。そうした期待を持つには、揚枝方という集落は十分に魅力的だった。2泊3日の滞在を通じて、合計11名の方に話を聞いて、撮影をさせてもらった。ここでは石渡さん夫婦含め、5名の方の最古の記憶とポートレイト写真を掲載したい。なお、書き起こした文章は、なるべくご本人の語りをそのままに記載をしている。

平良重さん
「馬に引かせる大きなソリがあるんですよ。長さが3メートルくらいの。それに材木を載せて馬に引かせるわけだけど、わたしの家の前が製材所で、それが春先になると使えないものだから立てかけてあるんですよ。春休みのときね、そこを子どもたち5人くらいで歩いたわけ。それが倒れてきて、わたしだけが逃げ遅れちゃって、足の骨がボキッと折れて、医者がいないから、柔道の先生が骨継ぎですから(笑)そこに連れてってもらって、助手の人が抑えて、その先生がギュギュとやって。いたたたたって、痛かったからよく覚えてますよ。たぶん、小学校の3年生か4年生のときぐらいかなぁ。昭和19年生まれだから、昭和27年くらい。それで、繋がったから、黒いうどんこみたいなのを塗って、板を3枚あてて、包帯ぐるぐるで、よしこれで良いと言われて、松葉杖くれないんですよ(笑)竹一本だから。座頭市みたいにして歩いたんだけど、うまく歩けなくてねぇ。春休みが終わって、学校に通うときには、近所の子どもたちがリヤカーに乗せてくれた記憶があるね。坂道なんかは、お神輿担ぐみたいに、わっしょい、わっしょいって。それと昨日もちょうど、同窓会があったからみんなで盛り上がったんだけど、川で溺れたのを覚えてるね。夏にね、最初5人くらいで川のヘリから入っていくわけだけど、進んでいくうちに、急に深い所にトポンと落ちちゃったんだよね。目の前がオレンジ色になって、死ぬってこういうことなのかなって。その時、ちょうど中学生が甲羅干ししてたから助けてくれてね。その後ね、溺れたときって悪寒がくるんですよ、真夏の暑い時だけど、家の畳のところで布団にくるまってガタガタふるえてね。そうしたら、みんな来て笑って、馬鹿にしてくるんだよ。それ以来、一番最初に進むのはもう止めようと。それがわたしの人生哲学(笑)」

有賀博幸さん
「わたしら小さいころは、遊ぶとこなんにもなかったわけ、山で遊んだり川で遊んだり、今頃は川だね。そこに川があるんだけど、ヤマメとかカジカとかうなぎとか、釣る遊びをしたんだわ。昔の川は、あんなに藪になってなかったから、もう少しカラっとしてた気がするね。魚もいっぱいいたし。あの頃はね、網なんかないから、家からざるをもっていくわけ。ざるは貴重品だからね、怒られたんだ(笑)ざるで魚掬いをやったんだわ。それとね、夏休みになると、川に深いところがあるのね。そこに子どもら飛び込んで、遊んで。川から出て、甲羅干しやるわけよ。石にくっついてね。寝っ転がったりして。この家ね、昔はここに囲炉裏があったの。囲炉裏で火を燃やして、暖をとったり、料理をしたりね。外から帰ってくると、腹減るでしょ。で、大きいばあさんが握り飯つくってくれるわけ、あぶりっこって言ったんだけど、焼いてもらって、味噌が良いのか、塩が良いのかなんて言われてさ。そんなの焼いてもらって、食べた覚えがあるね。囲炉裏の中で焼き芋やったり。俺は昭和24年生まれ、食べ物ねぇ頃だから。握り飯が食べれるなんてのは、嬉しかったよお。それとか、小さい頃ね、海の音、海鳴りが聞こえたわけよ。嵐のとき。どどーん、どどーんって。今は聞こえないね。それで、海を見よう!って、この前の山のぼるわけ。すっと、遠くに海が見えるんだよ。この山、俺は前山って言ってるんだけど。この山、米粒くらいの水晶が取れるだよね。ここは、明治の頃に金山だったの。それで住みついた人もいたの。すぐ採算合わなくてなくなったけどね。その金鉱の穴で、コウモリ取りをやったんだよ。素手で取ったんだよ。道具も何もなかったから素手だよ。小さいころはいろんな遊びやったけど、どこのうちでもそうだけど、帰ってくるとすぐ遊びに行けないんだ。家の仕事があっから。それで、うちはみんな女兄弟ばっかしで、俺しか仕事をしないわけ。他は、男兄弟いっぱいいるからすぐ終わるんだけど、俺は一人だからなかなか終わらねぇんだよ。そん時は、勉強なんてやってらんねぇから」

豊田澄子さん
「小さいころは農家だから、ほんとに学校かえってくると草刈りだ。夏休みっていうと、山さ行って、草運び。小さいころから農家の仕事ばっかり、親は農業だけで子どもら仕込んだんだからね、よーく働いたよ。あの頃は、ぜんまいだなんだって山行って採って、5月はぜんまい戻して、すみこさんいるとゼンマイうまいもんなぁなんて言われてよ。だめだ、今は歳とって、あれやれこれやれって指図だけで、金かかるもんな、動いてもらうのも。うちは7人兄弟。みんな一緒に農家やったんだよ。夏は、父ちゃんが子どもたちリヤカー乗っけて海に行ったんだよ。今ぁ、海怖いね。津波来てから、防波堤できちゃって、海が見えないもんね。一番古い記憶ねぇ、あのね、小学校6年生ごろだね、向こうの山が家事で燃えたんだよ、それがうちの方から真っ赤に見えたの、あれは覚えてる。大火事があったの。それが一番古いかなあ」

石渡ちふみさん
「わたしはあんまり考えたりとか、自分から何かをするという子どもじゃなくて、だから、何してたかという記憶はあんまりないんだけど、お姉ちゃんがいて、お姉ちゃんがすることをいつも真似してたんだけど。それでも、うちはひいばあちゃんがいて、一緒に住んでたんだけど、ひいばあちゃんの部屋に行くと、ひいばあちゃんはベットで寝てて、ベットの中に入れてくれて一緒に寝たり、それと薬局で買えるようなハーブをくれたりした記憶はあるかな。そこから飴の趣味が、すごくおばさんくさいなんか言われてて、中学校とかでも塩飴とかカンロ飴とか好きで。貰ったのは、ハッカキャンディなんだけど、もっと黒っぽい飴だった気がする。何十種類ものハーブを配合してたみたいなやつ。ずっとわたし、魔女になりたいって思っていたから、もしかしたら、そういったことと関係があるのかも。小学校五年生くらいから、真剣に魔女になりたかったから、自分で草を何種類も潰して、それを飲んでみたりしてたから。身体にいいとか、そういうのが好きなのかもしれないね。あ、でも、いま思うとサラミとか練乳とか好きだったから、ナチュラル志向というわけではないかもしれないけど。2歳か3歳のときにひいばあゃんは死んでしまったのだけど、その飴をもらった前後の感じが一番古い記憶じゃないかなって思っているんだけど、ちょっとあやふや。でも、飴をもらったのは間違いなく覚えていて、缶の絵も覚えていて、黄色に薬草の絵が描かれていて、味もなんとなく覚えてるんだけど、本当かどうかは分からない。でも飴は、うん、あれは絶対舐めたと思う。あとは、ひいばあちゃんの手のしわっていうか、感触はうっすら覚えているかもしれない。あれは、ひいばあちゃんのだと思う」

石渡のりおさん
「覚えているのは、家、何回か引っ越していて、この家が古いだろうという記憶があって、その家にまつわる話しがたぶん一番古い記憶なんだけど。小学校上がる前まで住んでいた家がすごい小さいアパートで、部屋が一部屋しかなかったんじゃないかな。すごいはっきり覚えているのが、僕もともと左利きで、字を親に教わっていて、文字が鏡文字になっていて、親がそれを治すために、描いてる文字の横に鏡を置いて、おまえが書いている文字はこっちだぞって言われたのを覚えてる。字を教わっているときだから、まぁまぁ古い記憶だと思うんだよね。うち、親が塾をやってたんだよね、ずっと親が働いてて、一人っ子だからなんかさせておこうと、親が僕に粘土を与えたんだよね、ネズミ色のやつ。それで、ずっと粘土やってたんだよね。何かを作って、敵とか作って戦わせて、それをひとつにしてまた違うものを作ってという記憶があるね。鏡文字より前の記憶だね。それと、インコが猫に食べられちゃって、僕がわーってなってたら、うちの母さんがインコがどうなったかを絵本に書いてくれて、インコがあの世にいって、まだそこにいるみたいな。それを俺が訪ねて行くというような絵本を書いてくれて。あと、親が働いてたんで、僕の面倒を見に、代わる代わる毎日いろんな人が来てくれて、ベビーシッターとか、よく歳の離れたいとこが来てくれていて、ギターを弾いていて一緒にカルピスを飲んだらあとでカルピスの中にゴキブリが入ってたことが判明して、俺のカルピスにゴギブリ入ってたよ!っていとこが言ってたのを覚えている」

何かとても大事なもの

風のように地域を訪れ、個人の最古の記憶を記録していく。風のようにとは言え、重要なのは、地域と僕を繋いでくれる存在だ。それが今回、アーティスト檻之汰鷲(おりのたわし)の石渡さん夫妻だった。桃源郷に例えられることもある揚枝方集落が、僕にとって魅力的に映ったのはもちろんだが、その前提として二人の存在がある。前述したが、本ウェブサイトのアーカイブ記事である石渡のりおさんの連載、『生きるための道具』(#01 #02 #03 #04)では、彼らのテーマである“生活芸術”について、北茨城での体験も交えて語られている。また、夫婦芸術家としての二人の在り方を紹介した記事、『夫婦でつくるケンポク暮らし』(#01 #02) もあるので、未読の方はぜひ読んでみて欲しい。

▼インタビューもさせてもらった、揚枝方のアイドル豊田澄子さん(通称 すみちゃん)と石渡さん夫妻

人の全活動のうちから、ある一定のルールやモードに則して抽出され形を与えられたものがアートという価値を生み出すのであれば、石渡さん夫婦が想い描くのは、抽出以前のアートの素顔なのだと思う。むろんそこでは、生活と芸術は切っても切り離すことができない。つまりは、人がそのままにアートであり、アートがそのままに人と言えるような世界の見方だ。これは、今回のプロジェクトで、僕が記録したいと思っている核心でもある。当然、個人の最古の記憶は、一つとして同じものはない。その人に固有の記憶であり、インタビューの現場で生まれてくる固有の語りである。そう考えると、何かとても大事なものを記録させてもらっているような気がしてくる。この、何かとても大事なものが何なのか。これからじっくりと向き合いたいと思っている。そういったものを、僕は茨城県北にある揚枝方という集落で、石渡さん夫妻の導きがあって、手にすることができた。

(写真:石渡のりお)

 文・写真   山根晋

山根 晋

映像作家 / プロジェクトディレクター

1985年生まれ、神奈川県在住。大学卒業後、広告営業や雑誌の立ち上げを経験。その後、千葉県九十九里に移住し、大工や林業の仕事をしながら映像制作業を独学で始める。近年は、映像人類・民俗学、思想や文化、古今東西の手仕業などの関心領域から、日常性の中に在る記憶や物語、関係をテーマにした映像をつくる。また、企業や自治体の情報資産の制作や記録を担う。茨城県北クリエイティブプロジェクトでは、2017年4月よりウェブサイトの情報制作ディレクターを務めている。shinyamane.com

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