茨城県北クリエイティブプロジェクト

#04 鯨の背中に乗るまちには、スローな時間が流れている?(後編)|連載:クリエイティブのフィールドワーク

関東の最北端。茨城県の北部地域6市町を舞台にした連載『クリエイティブのフィールドワーク』。フィールドワークとは、文字通りフィールドつまりは現地に入り、各々が “ある視点” に基づいて、物事の仔細を見聞き体験し、机上だけでは決して分からない、“視点”と“対象”を結ぶ地脈を全体的に理解しようとする行為。今回の連載では、映像作家である筆者が、いちクリエイターとしての視点から、何に興味が湧き、何に可能性を感じ、何に学びを得たのかを書き残し、茨城県北地域にクリエイティブの火種を見つけていく。

前編に引き続き、今回の記事では常陸太田市の「スロータウン」鯨ヶ丘商店街を訪れている。前編、後編に渡り、この場所で見聞きしたことから考えてみたいのは、スロー/遅さについてだ。日本社会では戦後、高度経済成長期を経て、“速さ”がもたらした非人間的な側面への反省から、“遅さ”がさまざまな場面で提唱、実践されてきたように思う。一方で、それらを横目に見ながらも、自分の生き方に取り入れるには抵抗があるという人たちも多かったのではないかと思う。“現実”を忘れさせてくれる一時の安らぎ。僕自身も、それに近い認識だった。しかし、茨城県北地域にも甚大な被害をもたらした2011年3月の東日本大震災は、おそらく多くの人にとって、価値観が揺さぶられる契機であったことに間違いなく、いよいよ“速さ”を何よりも重視することに対して、実感的な疑念が生じたように思う。そして、震災をゼロ地点として、それ以降の社会変化の中で、“現実”という船着場それ自体が徐々に瓦解してきたのではないかとも思う。それはなにも、社会や政治情勢などのマクロな側面からだけではなく、情報の立体化、体験化、パーソナル化による拡張的日常の享受。中央的でなく、離散的な生き方や働き方の実現など、僕たちの生活に近しいマクロな側面にも、さまざまに理由を見出すことができる。その、2010年代も終わりを迎える現在において、スロー/遅さということが、また以前とは違った意味合いを帯びてくるのかもしれない。

(写真:山根晋)

地縁から友縁へ

当たり前のようだが、どこに暮らして何をしていても、人との縁なくしては、仕事や生活そのものが成り立たない。それがかつては、土地に根付いた地縁によって担保されていた。しかし、地縁を支えるものが、時代の変化によって崩れ、従来の形を留めることができなくなった現在、地域の問題や課題というのは、ほとんどがそれに一因があるように思う。また、人口が多ければ自然発生的に地縁が生まれるわけでもなく(それは都市型のコミュニティが証明するように)、そこには知恵と年月を掛けた複雑な地域システムが編み込まれていた。それは個人レベルでは多分に息苦しいものだったかもしれないが、総じて十分に機能していたシステムだったはずだ。そこに生活の喜怒哀楽が染み付き、原風景となっている人々にとっては、地縁の崩壊は、とても寂しい現実に映る。前編で紹介した、鯨ヶ丘商店街の会長を務め、社会学の在野研究家でもある「喜久屋」の渡辺彰さんにインタビューさせていただく中で、そのようなことが整理できた。そして、鯨ヶ丘商店街が地縁に代わる縁のあり方として見出したのが、“友縁”という形。そのきっかけとなったのが、「Cafe 結+1」(カフェユイプラスワン)だったと渡辺さんは言う。「Cafe 結+1」代表の、塩原慶子さんに話を聞く。

(写真:山野井咲里)

– どのようなきっかけで、このお店をはじめられたのですか?

(塩原さん)「私自身が子育て中に、ノイローゼになるほど、孤独感をあじわったんですね。友達もいないし、いきつけの喫茶店や本屋さん、レコード屋さんもない。そんな時、同じ境遇のお母さんたちと一緒に子育てサークルを小さくはじめたんです。10家族くらいで、花見に行ったり。それに随分救われました。そこで、自分たちの子育てが終わって、いまのお母さんたちも境遇は同じだろうと思って、こういう場所があったら良いねということで、2008年に開業しました」

– つまり、“友縁”が生まれる場所ということですよね。今でこそ、境遇が似通っていたり、気が合う人同士が、利害関係やしがらみなどとは関係なしに繋がっている状態って、当たり前のようですけど、まさに塩原さんが子育てされていた時代というのは、ちょうどその過渡期だったのかもしれないですね。

(塩原さん)「そうですね。でも現実的には、それをこの先も存続させていくことってなかなか厳しいと思うんですよね。この10年で、新しい人たち、世代に代替わりしないといけないですよね。萎んでいく社会のなかで、ソフトに着地させていくにはどうしたら良いかを考えないといけないなぁと思っています」

– そうですよね。もしかしたら、“友縁”にも変化が求められるのかもしれないですね。友縁は友縁だけど、バージョンが変わるというか。

(塩原さん)「絶対的に必要になってくるのは、世代交代。とにかく、これから10年が勝負かな。それこそ田んぼが大型ショッピングモールに変わったり、何百年も同じだった風景がどんどん変わっていくと思います」

地縁から“友縁”への変化を、違う側面から考えてみると、質量の変化とも捉えることができる。人口が少なくなることで、地縁を支えた地域システムが成り立たなくなり、ぽっかり空いた空間ができる。そこに、今までの責務やしがらみとは違った、趣味趣向や想いといったもの、「喜久屋」の渡辺さんが言う、“目には見えないもの”が、空いた空間に広がり、ゆるやかに今までの地域システムを補完していく。しかし、それは多分に“目に見えないもの”であるから、以前のような“目に見える”質量とはまた違ったものであり、だからこそ、その継続性には難しい一面がある。もしかしたら、塩原さんのように“友縁”を担ってきた人たちが、現在直面している状況は、そのように言えるのかもしれない。

歴史を繋げる

「絶対的に必要になってくるのは、世代交代」塩原さんがそう言う、交代した世代の先頭に、雑貨屋「SUNNY SUNDAY」を営む小泉正人さんがいる。今回、撮影に同行してくれたフォトグラファー山野井咲里さんが取材した記事がアーカイブにあるので、小泉さんの活動の詳細は、ぜひそちらを一読して欲しい。

アーカイブ記事:地域とクリエイターをつなぐ、街の雑貨屋さん。|常陸太田・鯨ヶ丘商店街「SUNNY SUNDAY」店主・小泉正人さん(前編)

アーカイブ記事:街が動きはじめるのは“ここにしかないもの”を提供することから。|常陸太田・鯨ヶ丘商店街「SUNNY SUNDAY」店主・小泉正人さん(後編)

(写真:山野井咲里)

– 若手であり、そしてご自身の世界観と個性を反映させたお店をされている小泉さんは、鯨ヶ丘商店街の顔という感じですよね。今回は、「SUNNY SUNDAY」のことというよりも、鯨ヶ丘商店街について、お聞きできればと思っています。小泉さんにとって、鯨ヶ丘商店街でお店をすることに、どういった想いがありますか?

(小泉さん)「繋げてるって感じですね。未来に向かって歴史の中で脈々ときたものを膨大なスケールの中で繋げているという感覚を糧にしています。表向きは雑貨屋ですけど、本当に商店街を変えていかなければならないという使命と、歴史を保持していかなければという危機感はすごくありますね」

– そのために必要なことは何なのでしょうか?

(小泉さん)「認知度という意味では、鯨ヶ丘という名前はある程度浸透してきた感じがあるのですが、現状お店が少なくて。イベントなんかでお客さんに来てもらうこともありますけど、お店をやりたいという人にも出会いたいなというのがありますね。そういうのが自分に課されていると思って、やっているというのがあるんですよね」

– 手応えはありますか?

(小泉さん)「んー、興味を持ってくれる人は増えてきてますが、では実際にここで商売が成り立つのか?とか、お店の場所を借りることがなかなか難しかったりと、現実的な部分で難しいところはありますね。ですので、僕も商店街の理事会に入っているので、商店街の皆さんと協力しながら、率先して仕組みづくりをしていこうと思っています」

(写真:山野井咲里)「SUNNY SUNDAY」の外観。

「まず、自分が楽しんでないと」と言う小泉さんは、これまで経験してきたこと、これから考えている企画のことなどをとても楽しそうに話す。聞いているこちらが、理由もなく元気を貰うような、はつらつとした魅力に溢れた人だ。しかし根底には、幼少期、実家であるスポーツ店が店を畳んだという悔しい経験があり、この土地で商売ができるということを証明したいという気持ちがあると言う。そうしたことが必然的に、歴史を繋げる、つまりは横の繫がりだけでなく、縦の繫がりを強く意識する小泉さんの姿勢を育んだのかもしれない。

目には見えないもの

引き続き街中を歩き、以前から一度立ち寄ってみたいと思っていた「宮田書店」へ伺う。宮田書店は、1730年創業の書店で、駿河屋という屋号が今も残る。ちなみに、建物は国の有形文化財に指定されている。

(写真:山野井咲里)

店主の宮田欣三さんは、参議院議員であったお父様のことや、ご自身や歩んできた道を振り返り、「地域への感謝の気持ちだけは絶対に忘れてはいけない」と強調する。確かに、僕らとは社会構造の前提が違う時代を生きてきた宮田さんの話しではあったが、深部には、真っ当に生きるとは何か、そういった普遍的なものがあったように思う。そして、話しの流れでごく自然に、地域の信仰の拠り所である、八幡宮(馬場八幡宮、若宮八幡宮)の話題になり、天神様を祀るご自宅の敷地内にある小さな御社を見せていただくことになった。

(写真:山野井咲里)

(写真:山野井咲里)1730年の創業時から、太宰府天満宮の天神様を祀っているとのこと。

宮田さんの言う「地域への感謝の気持ち」とは、そこに住み、商売を支えてくれる人々に対してだけでなく、神さまや仏さまにも向けられた気持ちなのだろう。私見ながら、そういった感覚が骨身に沁みているのは、主に80歳を超えた高齢の方々に多いように思う。そしてその感覚とは、“目に見えないもの”と「喜久屋」の渡辺さんが言っていたことの、ひとつの源流ではないか。

懐かしくてまだ見ぬ可能性

前編後編にわたり、スロー/遅さを考えながら、「スロータウン」鯨ヶ丘商店街を見て聞いて歩いてきた。前編の記事では、その渡辺さんから、「スロータウン」という言葉が生まれるまでの経緯と本意を。「金茶猫と庭仕事」の嶋根さんからは、このまちが好きという純粋な動機を。根道でたまたま遭遇した小林さんからは、昔の林業道具を見せていただき、公道と私道の中間にあるような根道の空間的な面白さを垣間見させてもらった。後編の記事では、「Cafe 結+1」の塩原さんから、地縁に変わる友縁という形、鯨ヶ丘商店街が抱えている世代交代という大きな問題を。「SUNNY SUNDAY」の小泉さんからは、横の繫がりだけでなく、歴史を繋げること、つまりは縦の繫がりへの想いの深さを。「宮田書店」の宮田さんからは、普遍的で真っ当な生き方、その根底に流れる信仰、目に見えないものへの敬意を感じた。もちろん、今回見聞きしたことは、極めて断片的なことであるし、スロー/遅さの今日的意義を一般化して、その範疇に収めることができないことも多分に含まれている。だが、一周遅れであろうが、二周遅れになろうが、鯨ヶ丘商店街に生きる人々が「スロータウン」という言葉に願い込めたものに、速いか遅いかという単純な二項対立を超えた、人間の生活の本質的な薫りが感じ取れた取材だったように思う。その懐かしくてまだ見ぬ可能性を見出していくことが、次世代に課せられた問いなのだろう。

(写真:山野井咲里)

 Text  / 山根晋 Photo / 山野井咲里(一部、山根晋)

山根 晋

映像作家 / プロジェクトディレクター

1985年生まれ、神奈川県在住。大学卒業後、広告営業や雑誌の立ち上げを経験。その後、千葉県九十九里に移住し、大工や林業の仕事をしながら映像制作業を独学で始める。近年は、映像人類・民俗学、思想や文化、古今東西の手仕業などの関心領域から、日常性の中に在る記憶や物語、関係をテーマにした映像をつくる。また、企業や自治体の情報資産の制作や記録を担う。茨城県北クリエイティブプロジェクトでは、2017年4月よりウェブサイトの情報制作ディレクターを務めている。shinyamane.com

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