茨城県北クリエイティブプロジェクト

#09 鍛冶屋の仕事論|連載:クリエイティブのフィールドワーク

関東の最北端。茨城県の北部地域6市町を舞台にした連載『クリエイティブのフィールドワーク』。フィールドワークとは、文字通りフィールドつまりは現地に入り、各々が “ある視点” に基づいて、物事の仔細を見聞き体験し、机上だけでは決して分からない、“視点”と“対象”を結ぶ地脈を全体的に理解しようとする行為。今回の連載では、映像作家である筆者が、いちクリエイターとしての視点から、何に興味が湧き、何に可能性を感じ、何に学びを得たのかを書き残し、茨城県北地域にクリエイティブの火種を見つけていく。

自らの身体を使って、職業として物を作る人の仕事を見るのが好きだ。好きが高じて、その様子を撮影することも多い。また、物を作る人の仕事に対する考え方や、歩んできた道のりを聞くことも好きだ。ある完成された物、つまり誰かがその価値を認める物にはその隅々まで作り手の意識が行き届いているのを感じる。もちろんそれには、無意識的なことも含まれるだろう。技術やノウハウということを超えて、そういったことがどうやって形を得ていくのか、そこに興味がある。そして、どのようにその感覚を培い、作ることを取り巻く現実的なことと向き合ってきたのか、そこにも尽きない興味がある。ながらく、茨城県北地域で物を作る人への取材にご縁がなかったが、今回念願叶って、日立市にある『鍛冶工房 studio ZWEI』の宇田直人さんの工房にお邪魔することができた。

住居にされているであろう立派な古民家の手前に、工房らしき建物がある。無人の中から、なかなかの爆音でロックが流れている。一見、大きな機械や道具、資材が雑然としているようで、よく見ると使うための秩序がある。まさに職人の工房といった雰囲気だ。奥の古民家から出てきた宇田さんが、挨拶も早々に自身の仕事について語ってくださった。

鍛冶屋とは

いただいた名刺にはゴシック体で大きく「鍛冶屋」と書かれている。なんとも魅力的な響きがする。おそらく初めて「鍛冶屋」を名乗り仕事をしている人と出会った。まず、その「鍛冶屋」について聞いてみたい。

(宇田さん)「自分はデザインから制作までしているけど、だからと言ってデザイナーや作家、アーティストって言うのは違うと思うし、金属工芸は一般的に小物を作るイメージがあるけど、僕はそれだけじゃなくて門扉や看板、構造物まで作る。ヨーロッパで「鍛冶屋」は建築金物を作る人なので、それが近いかな」

鍛冶工房 studio ZWEIの宇田直人さん

(宇田さん)「日本で鍛冶屋というと、農機具などを作るいわゆる野鍛冶や、包丁などを作る刃物鍛冶を差しますが、ヨーロッパの鍛冶屋はそれだけにとどまらず、早くから建築と結びつきます。教会の装飾や店 舗の看板等を作るため、造形的・意匠的な鍛冶屋の物作りが発達しました。唐草文様などの細工なんかがそうです。逆に日本では鍛造で細工するよりも、鍛錬とか焼き入れの技法が発達しました。僕はドイツ で修行していたので、ヨーロッパタイプの鍛冶屋ということになります」

宇田さんの鍛冶工房 studio ZWEIのホームページでは、ご自身が企画デザインをして制作を手がけた、家具やインテリアからエクステリアなどの施工事例が閲覧できる。それらをじっくり見れば、規格ありきの工業製品とは異なるものであることがよくわかる。そして何より造形の美しさ、細工の細かさがある。

写真:studio ZWEI HPより)

写真:studio ZWEI HPより)

(写真:studio ZWEI HPより)

(宇田さん)「現代のシンプルな暮らしの中に、鍛冶屋が作った昔ながらの重厚なデザインの製品を取り入れようとしても難しいと思う。工房を立ち上げたときから僕がずっと模索しているのは、現代の生活に合う鍛造の形。その中で、伝統のある鍛冶屋の技術をどう活かしていったらいいのだろうか。それをいつも考えていますね」

「鍛冶屋」の仕事、「鍛冶屋」の技術。なぜだか、宇田さんが言う「鍛冶屋」には、言葉の便宜上だけではないものが含まれているように感じた。

鍛冶屋になるまで

そもそも宇田さんは、なぜどのようにして「鍛冶屋」になったのだろうか。ドイツで修行して、日立で「鍛冶屋」をしているという経緯も非常に気になる。

(宇田さん)「最初から鍛冶屋になろうと決めていた訳じゃないんです。僕は美大を出てるんですが、入るまでに四年浪人していて。当時は大学に入るのに五浪とかザラな時代でしたから。そうすると、入学する頃にはまぁまぁ良い歳になっちゃってる。それで早い段階でどう食っていくかを決めなければと、予備校に行っている時に工芸の道に進むと決めました。金属にした理由は、僕は色感があまりない。だから染色とか焼き物、ガラスとか色味のセンスで勝負するものは厳しいかなと。金属はシンプルだし、色味もそんなにない。それでこの業界に絞ろうと思ったんですよね。金属加工は生きていくためのスキルにもなりますし。大学卒業後は、まず技術的なバックボーンを持とうと、日本で鍛冶屋に弟子入りしました。その師匠の紹介でドイツに行ったんです。当時、この業界でドイツは最先端だったので、そこに行けば技術的に知りたいことが分かる、と思いました。それに、ヨーロッパの中でもフランスやスペインがクラシカルなものが多かったのに比べ、ドイツは古いものと新しいものが組み合わさっていてモダンな雰囲気がありました。三ヶ所の工房で働いて、ドイツには四年くらいいました。最近の美大卒業生は、職人じゃなくて作家になりたがる。 自由にものを作りたい気持ちも分かるんですけどね。でも未熟な芸にお金を払ってくれる人はいないんです。そうすると、生活していくことに押されて、ものづくりから離れていってしまう。きちんとした技術を身に付けるのも、製作を続けていくひとつの手段だと思います」

(宇田さん)「ほんとうに向こうでは仕事だけでしたね。当時、連絡手段は手紙くらいしかなかったし、お金もなかったから頻繁に日本には帰ってこれないし。工房と家の往復だけ。でもそういう状況に身を置けたのも良かったなと。当時のドイツにはトップレベルの鍛冶屋のマイスターたちがいて、それに触れることができたのが自分の財産になっていますね。今は将来を決めようと思うと色々な選択肢が溢れてる。自由過ぎるんですよね。たとえばひとつの仕事でつまずいたとして、別な仕事に変えてみようと思えば変えられる。それは良い点でもあるけれど、技術を習得するうえで妨げになるのも確かです」

(宇田さん)「日本に帰ってきてからは、すぐに独立して、2003 年の 8 月くらいからここ(日立市十王町)に住み始めました。でも最初は仕事、まったくないんですよ。ほんとうに何もない。だから飛び込みの営業をしたりして。2004 年くらいから、なんとなく仕事が来る感じになったけど、わけわかんない仕事しか来ない んだよね(笑)でも当時はとにかく施工例を作らなきゃならなかったわけです。予算安いし、条件が厳しいなかで、ベストを尽くしてやるしかない。それからほんとうに少しずつ進んできた感じで、施工例も増えていって、徐々に面白い仕事もやらせてもらえるようになって、今に至るかな」

江戸時代に建てられた住居兼ギャラリーの古民家

猛烈な仕事のなかで技術と経験を鍛錬したドイツから、縁もゆかりもない日立へ。どこまでも現実を直視し、それに対して合理的な生き方を貫く宇田さんの生き方は、誰もが真似できることではない。「未熟な芸にお金を払ってくれる人はいない」「自由過ぎる」という厳しい言葉が、ぐさりと刺さる。

鍛冶屋の仕事論

宇田さんは、自分は作家やアーティストではないと言う。しかし、定期的に個展も開催している。そのあたりを詳しく聞いてみたく思った。

(宇田さん)「個展は、クライアントに対してプレゼンの場みたいなものです。それこそ現在の暮らしに取り込みやすいシンプルな作品や、技術的に凝ったものまで様々に製作して展示します。それを見たクライアントの方々が鍛冶屋の仕事に対してイメージを広げてもらえれば、と思います。僕が鍛冶屋としてものを作り、工房を運営していくためには、仕事を成立させて報酬を得ないといけない。これはどの職業にも言えることだとは思いますが。個展が仕事を成立させるためのひとつのきっかけになればと思います」

ずばり、クライアントありき。曖昧さがないそのスタンスに、宇田さんの仕事論が浮かびあがってくる。

(宇田さん)「工房の運営とか関係なく、自分の作りたいものだけ作っていられたらいいですけどね。でもそうした結果、ものづくりから離れていってしまった例もたくさん見てきた。だから、クライアントありきの仕事と言っても、毎回真剣白刃取りでやってます。イタコ方式って呼んでますけど、相手が何を望んでいるのか、僕がその意思を汲み取って、作る。現場によって和風、モダン、デコラティブ、色々です。同じ現場はひとつもないから、そこに合わせてその都度何がベストか考えて作ります。本当はクライアント自身が思い巡らせたものを、自分で作れるのが一番良いんですよね。でも場合によっては、専門的な技術を必要とします。だから僕らのような人が代わりに汲み取って制作するのだと思います。そういう考えだから、僕は自分を作家とかアーティストって、言い切れないなって」

(宇田さん)「また、単純にクライアントの要求に応えるだけだとレベルが上がっていかないし、ときにはもっとこうしたほうが良いのにって思うこともある。だから、常に新しいものが作れる状況にするために、個展とかをして、こちらのアイデアの引き出しを増やしておいて、こっちの方が面白いんじゃないですか?ってプレゼンをし続ける。仕事を受ける基準として当初から決めていたのは、僕にデザインさせてくれること。それ以外の仕事は、どんなにお金を積まれても断る。つまり自分でデザインできるということは、自分が発言できる可能性が残ってるっていうこと。自分のプレゼン次第では、何か変えられる余地があるということなんですよ。だからデザインをさせてくれるかどうかは僕のなかでは重要です」

(宇田さん)「うちは階段の手摺や表札の製作なんかの、一般住宅や建築にかかわる仕事が多いです。ただ、世の中全ての建築に鍛冶屋の仕事を入れる必要はないと思う。 やることの意味をかんがえますね。 それを判断するには、鍛冶屋の仕事を客観視できるかどうか、だと思う。それには、全体的なデザインのこともわかってなければならないと思うんです。昔と比べて、親方がやっていたことを踏襲するだけでは、仕事は来ないですね。ただの職人であっても、考えることが絶対必要な時代ですよ。 また、うちでは鍛造の技術のほかに、レーザーカットなどの新しい技術を組み合わせて仕事をしています。そういうのは他の鍛冶屋さんでは見られないと思います。」

どこまでも現実を直視して、合理的な行動原理で成り立っている宇田さんの仕事論。しかし、逆風に逆らい物作りをするには、そのぐらい断固たるものがなければならないのだろう。一方で、宇田さんの言う「鍛冶屋」には、一抹のロマンとも言えるような響きが含まれているように感じた。分厚い経験からくる自信と誇り、固有の技術。それを保ち続ける日々の努力と工夫。それが人類の文明文化に古くから存在する鍛治の歴史を次に繋いでいく一片を担っている。推測が過ぎるかもしれないが、そんな壮大なロマンや使命と繋がっている気がしたのだ。

(宇田さん)「自分が学んできたものや、試行錯誤して獲得してきたものが、直接誰かに伝わらなくても良いんです。なぜなら、できあがった物にそれがあるから。時代を跨いだとしても、見る人が見ればそれが伝わるはずなんです」

文・写真   山根晋

山根 晋

映像作家 / プロジェクトディレクター

1985年生まれ、神奈川県在住。大学卒業後、広告営業や雑誌の立ち上げを経験。その後、千葉県九十九里に移住し、大工や林業の仕事をしながら映像制作業を独学で始める。近年は、映像人類・民俗学、思想や文化、古今東西の手仕業などの関心領域から、日常性の中に在る記憶や物語、関係をテーマにした映像をつくる。また、企業や自治体の情報資産の制作や記録を担う。茨城県北クリエイティブプロジェクトでは、2017年4月よりウェブサイトの情報制作ディレクターを務めている。shinyamane.com

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