茨城県北クリエイティブプロジェクト

記憶の風景 そしてアンブレラはつづく(後編)

フォトグラファーの山野井咲里さんが綴る、アンブレラ・プロジェクトのこと。前編では、常陸太田のまちなかで青い傘の写真に出会うところから、縁がつながり、写真展『our umbrellas』を開くまでのストーリーをお届けしました。
後編は、展示を通じて出会った小林真行さんのインタビューです。山野井さんと時を同じくしてアンブレラ・プロジェクトに惹かれ、リサーチのために県北を訪れていたという小林さん。いったいどんな話が広がっていくのでしょうか。

 

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――小林さん、こんばんは。先日は展示に来ていただいてありがとうございました。

あのあと小林さんが送ってくれたテキストも読んでみて、あらためてアンブレラ・プロジェクトのこと、地域とアートの関係などについても、お話しできたらと思いました。よろしくお願いします。

はい、よろしくお願いします。


小林真行さん。オンラインにてインタビュー。

――あの展示でお会いしたときは、たしかアンブレラ・プロジェクトについてのリサーチに来られていたんですよね。

そもそもどんな経緯でこのプロジェクトに興味を持つようになったのか、まずはそこからお聞きしたいです。

僕は茨城県の那珂市出身で。小さいころに常陸太田で何かイベントがあったな、という記憶はあったんです。でも本当にそれくらいの、もやっとした記憶でした。

高校を卒業して2年間、調理師の専門学校に通ったあと、東京で料理人をしていたんですけど、とある写真に出会って人生がガラリと変わり、写真家として活動をはじめて。そのうち現代美術にも興味を持つようになり、美術館の外で、作家や地域の人たちと一緒に展覧会をつくるような仕事に興味が拡がっていきました。

そんなふうに年齢を重ねていろいろ学んでいくうちに、芸術は作品をつくるだけではなく、人々の関係を結ぶこともできるんじゃないかと思うようになって。その視点でクリストのアンブレラを見てみると、すごいプロジェクトだったんだ、と気づかされたんです。

ーーそれで里美の岡崎さんのところへ行ったんですね。

最初に連絡したのは昨年の3月か4月ごろ。でもコロナがあって延期になっていて。僕が行くことで迷惑をかけてはいけないし、しばらく待つことにしました。

秋ごろに岡崎さんと連絡を取り合って、「よければ写真展もあるみたいなので、この時期どうですか?」と。それがちょうどあの12月の第1週のタイミングでした。

ーーなるほど。現地をリサーチしたのは、あのときが初めてだったんですか?

ちゃんと調べたのは、そうですね。TASCHEN(タッシェン)という出版社が出している、めちゃめちゃ厚いアンブレラプロジェクトの図録みたいなものがあって。全部で1000部刷っていて、一般流通しているのが500部で、残りの500部は関係者に配ったみたいなんですよ。

なかなか出会えなかったんですが、岡崎さんの書いた記事にその図録のことが出てきたので、なんだ、里美にあるのかと。それで里美に行くことにしたんです。

ただ、図録を保管しているはずの常陸太田市役所の里美支所に行ったら、なくて。どこかにいっちゃったみたいです。

ーー誰かが借りたままになっているんですかね。

ねえ。だから結局見てないんですよ、その図録は。岡崎さんが結構な量の資料の写真を撮っていてくれたので、今はそれをクラウドで共有してもらっています。

ーーそうだったんですね。じゃあ、不完全燃焼になりそうななかで、あの展示に足を運んでくれて。

どこかほかにも回ったところってあるんですか。

実際にアンブレラが展示された場所を回ってみました。山野井さんが展示していた地図をスマホで撮らせてもらって、コンビニでA3でプリントアウトして。

クリストが、「ここに傘を立てられないなら、このプロジェクトをやめる」って言った場所があるんです。それを岡崎さんの資料で見ていて、山野井さんが展示していた地図にも載っていたから、行ってみようと思って。


傘の場所が記された日本(左)の地図とアメリカ(右)の地図。

ーーアンブレラ・プロジェクトがはじまった、最初の場所。

そこから陣場まで、18〜19kmかな。当時訪れた人たちはどういう風景を見ていたのか想像しながら、車でずーっと移動して。当時の動画をYouTubeに上げている方がいて、それも観て脳内で補正しながら回った感じです。

ーー今回リサーチをしてみて、どうでしたか?

2つ驚いたことがあって。1つは、展覧会の設計をしていると、空間のなかにどういう風に作品を収めるか、どういう風に見えるかということを考えるんですね。やってくる人はどんな順番で何をみて、どういう意味を繋いでいくのか。それをクリストは20キロ近いスケールでやっていたと考えると、本当にすごい仕事をしているな、と。

ーーたしかにものすごいスケールですよね。

それともうひとつは、土地の人たちとクリストが、いつの間にか共犯関係というか、絆のようなものを築いていたことが驚きで。じいちゃんばあちゃんたちが、みんなで綱を引いて傘を立てている写真があるんですよ。どこかの工務店の人とかではなくて。

ーー私もその写真はどこかで見ました。地域の人や訪れた人にとって、自然と「自分ごと」になっているのがアンブレラ・プロジェクトの不思議なところですよね。

でも、地元の人に向けた初期の説明会の写真を見ると、みんな怖い顔してるんですよね。これから何が始まるんだよ、みたいなね(笑)。こういう段階から、それでも手を入れていくっていう。

ーープロジェクトのドキュメンタリー映像を観ても、道端を歩く小学生から地主さんまで、相手が誰であるかに関係なく、丁寧に説明するクリストの姿が印象的でした。

「作品をつくるだけじゃなく、人々の関係性をつなぐのもアート」という小林さんの言葉は、まさにクリストの姿勢そのものかもしれませんね。


初期の説明会に出席した人たち。何が始まるんだというような、異様な雰囲気。『The Umbrellas: Japan/USA 1984-91』(TASCHEN)より引用

30年経っているにもかかわらず、まちなかの至るところに写真が飾られていたり、こうして写真展を開く山野井さんのような人が現れたりする。そのこと自体がびっくりですよね。

2、3年に一度、地域で開かれる例大祭の写真を飾っている、っていうならわかるんですよ。こう、年々続いていくことだし、祭りって地域にとって大切なものだから。でもアンブレラって、30年近く前にたった一回、海外から来た謎の外国人が傘を実質2週間(※)開いて閉じて帰っていっただけなのに、地域の人にとっての何かになっている。なり続けている。

ーーそうなんですよね。言葉にすると、とてもシンプルなことに思えます。

僕がこの作品凄いな、このアーティスト凄いな、と思う芸術家の共通点が“芸術の力”を強く信じていることなんです。

ーー芸術の力。

そう。「私の作品を見ることで、もしかしたら今死のうとしている人を止められるかもしれない」というくらいに作品の力を信じている作家さんって、数人頭に浮かぶんですね。クリストもその一人で。

いくら気持ちを込めても陳腐な言葉しか出てこないもどかしさって、あると思うんです。でも作品は、“言葉では収まりきらない感情”をなげかけてくることがある。そういう体験ができるのは、芸術がほかの何よりも優れている部分じゃないかなと思います。

※ 当初3週間にわたって開かれるはずだった傘は、日本側の台風や強雨、そしてアメリカ側での事故の影響などで、会期をまっとうせずに閉じられることになった。


(写真提供:中野勉さん)

ーー今、アートの鑑賞者として、あるいは展覧会の運営者としての視点から、アンブレラ・プロジェクトについて話してもらったのですが、小林さんご自身、写真を撮るアーティストでもあるわけですよね。私も普段はフォトグラファーとして活動しているので、小林さんが「写真」をどのように捉えているのか、興味があります。

このインタビューの冒頭でも少し触れたんですが、僕が料理人から写真家に転身したきっかけが、畠山直哉さんのBLASTというシリーズの写真で。ダイナマイトで山を発破した瞬間を捉えた作品なんですけど、それまで見たことのない光景で、「写真ってこんなことができるんだ!」という、その驚きから写真に巻き込まれていきました。

写真を撮ることで、自分の思考回路もつくられていった気がします。世界の捉え方を写真に教わったというか。

ーー世界の捉え方。

世界って、細かく見ていくと常に変化しているんです。一瞬一瞬、万華鏡のように砕け散っては消え、砕け散っては違う配置になり、ということが続いている。それを写真は記録できるんですよ。目の前にあることに関してなら、“こうなっている”という一瞬の断片を捕まえることができる。

僕は、記録を集める感覚で写真を撮っています。

ーー私にとっても、写真は記録という感覚が強いです。言葉では表せないことまで、写真なら残して伝えられる感じがして。

言葉って、僕たちが持っている感情の10パーセントくらいしか表してないんじゃないかって時々思ったりするんですよね。

悲しい、嬉しい、さみしい、みたいな一つだけの感情が表れる場面って、多分そんなにないと思うんです。悲しいとさみしいが重なっていたりとか。現代美術やほかの芸術、写真もそうですけど、言葉を介さずにそういうものに触れられることに携わっていたいと思う理由は、そのあたりにあるんじゃないかな。

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そういえば、今回の展示をやろうと思ったのも、アンブレラの写真に出会ったことがきっかけでした。

「みんなが撮った写真を見てみたい」

そんなふうに心を動かされたのは、ただ単に写真を眺めたかったのではなく、写真を飾るくらいその風景を大事にしている人たちの想いを知りたいと思ったからかもしれません。

写真は目に見える風景だけではなく、撮った人の記憶が重なっているものだから。展示をすることで、それに少しでも近づけるのではないか、とも思っていました。

実際にやってみて感じたのは、やっぱり同じ感覚を味わうことはできない、ということです。そのとき、その場で起きたことは、二度と繰り返さない。

それでも、写真や手紙が残り続ける限り、何度でも追体験することができます。現に、小林さんやわたしのように、クリストを追いかけるように行動する人たちがいる。このことは、表現するひとりとして、またアートに触れていたいと思うひとりのお客さんとして、小さな希望になるんじゃないかと思いました。

アンブレラ・プロジェクトの10周年に回顧展を開いた中野さんが、先日、40周年のタイミングでもう一度回顧展をやりたいと話しているのを耳にしました。繋げるのではなく、自然に繋がって、未来へ。

こんなふうに、アンブレラはどこまでもつづいていくのかもしれません。

文・写真 山野井咲里(一部写真提供 中野勉さん)

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