茨城県北クリエイティブプロジェクト

大事なのは、ストーリーを発信し続けること。(ブルーベリーフレンドファーム 小口弘之―常陸大宮市)

常陸大宮市の山間部、整然とブルーベリーの木々が植えられた畑が見えた。小口弘之さんの経営する「ブルーベリーフレンドファーム」だ。

小口さんは、高校を卒業後、水戸京成ホテルに入社。総支配人として地産地消の取り組みに多く携わるなかで、次第に農業に関心を持つようになった。

定年後の今、小口さんはブルーベリー農園の経営をはじめ、調理器具の企画・開発・販売、高校生株式会社であるHIOKOホールディングス株式会社(茨城県立常陸大宮高等学校商業科の生徒が株主として企画・運営)の社長役を引き受ける一方で、茨城県初のマスターソムリエの肩書を持ち、8年前には、57歳で出場したバドミントン「全日本シニア選手権大会 55歳以上シングルス」で優勝するなど、その活躍ぶりは留まるところを知らない。

「お金をかけるのではなく、時間軸への投資をする」と言い、「10年ひとくくり」できちんと数値化して計画を立てるという小口さん。その鋭い視線の先に、ひとくくり先の茨城県北はどう見えているのだろうか。小口さんの考える茨城県北の可能性とその戦略を聞いた。

文・写真=高木真矢子
取材:2021/8/5

―そもそもブルーベリー農園を始められたきっかけはなんだったのでしょうか?

小口弘之(以下、小口):元々、水戸京成ホテルで働いていた1992(平成4)年から、地産地消の仕事で、JAさんと京成ホテルで茨城の産物を見直すにあたって、各地を巡ったんです。そうしていろいろな作物の産地や生産者さんを訪ねて、様々な農業の手法や産地それぞれの現状、課題、可能性等を知るにつれ、いつからか、農業ってすごく面白いな、やってみようかなって思うようになっていました。

また、当時参加した勉強会で講師が話していた「これからの時代は環境・農業・福祉」というキーワードも農業を始める後押しにもなったのかもしれません。この分野をどう自分で構築できるかというふうに考えた時、私にはお金もないし、地域資源を生かせるのは農業だな、と考えていました。

実際に農園を始めるきっかけとなったのは、人生の先輩ともいえる二人の人物との出会いです。一人は「坂農苑(かすみがうら市)」の坂尚武さんで、私のブルーベリーづくりの師です。もう一人は、帝国ホテルに長年勤務された惣田一夫さん。惣田さんは、5年という時間をかけて茨城に移住しました。この二人の生き方に感銘を受けたことが大きく影響しましたね。

―生き方、ですか。

小口:ええ。坂さんは、早いうちから先を見据えてブルーベリー農園を開く計画を立て、それを実行しています。坂さんとは茨城県経済連(茨城県経済農業協同組合連合会、現 全国農業協同組合連合会茨城県本部)にいらっしゃるころからのご縁で。10年先を見据えた計画や考え方だけでなく、強剪定(多くの枝や芽を切り落とす剪定方法)をすること、4年間は実を実らせないようにして、ひたすら丈夫な木を造ることから始めるというブルーベリーの育て方も学びました。

惣田さんは55歳の時に茨城に移住して来られました。「東京にご自宅があって、定年までまだ時間があるのになぜですか?」と聞いたら、「定年のためのリハビリだ」と言うんです。「定年後に新たな土地に入って何かをスタートするのでは遅い。5年間、週末だけ来て、地域とのお付き合いもしていく。そうすると定年になった時、スーっと入って行ける。『ずっといたんだ、この人』と地域に馴染め、次のことをやっていくことができる」と。

この2人の生き方を見ていて、共通した「定年のためのリハビリ」という言葉や考え方、計画性が、ものすごく私の頭の中で残ったんですね。

人間なんて順風満帆な時ばっかりじゃありません。私もいろいろ落ち込んでいた時期だったんですが、よくよく考えて、坂さんのように、10年計画を立て、51歳からブルーベリー農園をやろうと準備を始めたんです。

―ブルーベリーに着目されたのはなぜでしょうか?

小口:私が51歳の頃、茨城県全体でもブルーベリー農園は、数十ヘクタールしかありませんでした。今は、120〜130ヘクタールありますけど、農業の世界で120〜130ヘクタールって本当に少ない。また、専業農家のブルーベリー農家も少ないということもあって、ブルーベリーはこれからだろうと着目しました。そこから、「おいしいブルーベリー=良い木造り」ということで、10年後(定年後)に農園をオープンさせる計画で、ブルーベリー栽培に着手しました。

お金をかけずに、時間軸で投資をして、10年後に農園がきちんとできたところで、定年を迎えるという計画で進めてきました。

―「ブルーベリーフレンドファーム」は、農園自体を観光の拠点としたカフェ併設の「農業×観光」の農園とのことですが、どんな工夫をされていますか?

小口:農業だけでは人は来ません。うちはこのカフェがあることで人が来るんですよ。今、コロナ禍でブルーベリーの摘み取り体験はしていませんが、コロナ前は摘み取り体験ができる6月から8月の3か月間で約1000人が来ていました。そのうち8割は常陸大宮市外からです。開園当初は、「こんな山に誰が来るんだ」と言われたこともありましたが、市外から来る人たちは「常陸大宮にこんなところがあるんだ!」と言ってくれるんですよね。ホームページなどでストーリーの発信も続けているからこそ、いろいろな人が紹介してくれたり、クチコミで広げてくれたりして、つながっているのではないかと思っています。

そのほか、農園のブランド価値を高めるということを意識はしていますね。私は「おいしいブルーベリー」を提供するための品質の管理、東京に売るという感覚を持ち、交流人口を増やして行きたいです。

―農業の良さはどんなところですか?また、新たなビジネスを創り出すために農業をどう活用していったらいいのでしょうか?小口さんの考えとしてはいかがですか?

小口:農業の何がいいかって、それはやはり自然環境です。そして、資源を活かせることですね。茨城県北に若者を呼びたいのなら、例えば30アールで1000万っていう農業収入モデルを作ればいいんですよ。若者が農業に「参入しない」、「できない」のは、しっかりとした計画と数値化を示さないからではないでしょうか。市場を意識して、どんな作物をつくり、ビジネスにするか、夢を持てるような新しい農業スタイルのモデルづくりをすることで、農業の可能性が広がると思います。

もう一つは、年齢に応じた農業ビジネスモデルの提案も大切ですね。

―小口さんがさまざまな挑戦をする中で特に意識されている部分はありますか?

小口:私はいつも何をやるにも「10年ひとくくり」という考え方をしています。「時間軸の投資」をしているのだという意識ですね。10年の間に情熱がなくなったらやめるという選択肢もあります。でも本当にやりたいことで、10年続けてやってるとなんとかなるんですよ。私も農業素人でしたからね。

いろいろありましたけど、10年かけてブルーベリー農園を作りあげて、開園の3年前からホームページ、Facebookを開設して名刺にも載せて、定年後の夢を語りながら開園して、今があります。

―例えば、県北で小口さんのように農業をはじめたいという場合、またはすでに農業をされている場合、これから先にどんなことが大事になってくるでしょうか?

小口:変化に気付いて、動くことじゃないでしょうか。例えば、県北のフルーツも、「奥久慈のフルーツ」っていうふうにして、こだわりの生産者をリレーしていけばいいんですよ。物流会社と組んで東京で売るとかも一つです。いいものを作ってブランド化していけば、また来年お客さんは来ると思います。

県北だからとか、過疎化はもう進んでるから駄目だっていうことじゃなくって、やり方や発信の仕方でも変わっていけると知ってほしいし、諦めないでほしいですね。

実際に、私のブルーベリー農園も広告宣伝費はゼロにも関わらず、ネットでたまたまうちを知ったという芸能人の方が気に入ってくださって、ブログで何度も紹介してくれて通販はキャンセル待ちという状況です。

こんな田舎の農園だって、ブランド価値の高め方や組み合わせのやり方で広がっていくんです。

大事なのは、ストーリーを発信し続けること、情報感度を高めること、そして販売してもらうのには手数料がかかるのは当たり前という感覚を早く身につけることですね。この感覚で値付けを考えていかないと、販売は拡大していきません。それが嫌なら自前販売にするべき。道の駅にしても、直売所にしても、農家が自分で値付けできるのが魅力です。どちらの戦略にするか、それは、それぞれの考え方ですが、(販売者の)規模が大きくなればなるほど、基準が厳しいですしね。一生懸命育てた農作物を安く売るなんて悲しいじゃないですか。

―茨城県北の可能性を広げていくためには、どんなことが大事だと思われますか?

小口:農業ひとつとっても、県北を中心に、点と点を県やクリエイターがつないで、仕掛ける。バラバラなものを集めて、どう売るかの仕組みを考えて、そういうさまざまなものをつなぐビジネスが県北で生まれてもいいと思います。まだまだ、県北が活性化する可能性はあると思うんです。農家でいえば、事業計画や資金計画は苦手な方も多い。であれば、そこは金融機関とタイアップして戦略を進めるとかですね。

また、奥久慈のこだわりの生産者100人をweb上でアップするなどして、勝手に動き出す仕組みをつくることも大切ではないでしょうか。

そして、「農業と観光」この2つを掛け合わせたスタイルをもっと多くつくることがイメージアップにもつながると考えます。

―小口さんは、人材育成ともいえる常陸大宮高校のHIOKOホールディングスにも携わっていらっしゃいますが、そのあたりも「つなぐ」という部分で共通する部分はあるのでしょうか。

小口:どうやっても、日本全体の過疎化は止められません。正直に言って、私のブルーベリー農園も、HIOKOホールディングスも全体から見れば、ささやかな抵抗です。

勉強が好きで、大学で東京に出て行く人はどんどんやってくださいと。私みたいに勉強は嫌いで運動ばかりやっていると行くところがないから、地元に残り就職し、起業するという道も一つの選択です。常陸大宮高校は商業科の生徒、こだわりの先生がおられ株式会社をつくりました。これは、実際にビジネスを体験して仕組みを学び、地域に残る人を育てて行く試みです。地域に残る人をどう育てるか。風穴を開けるなら10年先を考えるのは当たり前なんです。動き出したら、かならず支えてくれる人は出ます。発信しないとつながらない。待ってちゃダメです。

―今後の目標は何でしょう?

小口:今、私は次の10年を見据えて計画を進めています。始めるのも計画、終わりにするのも計画です。生涯現役なんて、気持ちはあっても現実はそうじゃない。だから地方の土地が更地になっちゃうんですよね。私は75歳までに農園のブランド価値をさらに高めて、現状を大切にできる継承の模索を続けています。農園が資産として継承できていったら、県北も楽しいところになるし、そういう場所を増やしていった方がよっぽど早い活性化にもなりますよね。

私のこれまでの取り組みが、なにか参考になったり、「年寄りに負けていられない」と若者が奮起する材料になったり、県北がもっと元気を出してくれるといいなと思っています。


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