貿易協定とジェネリック医薬品:TRIPSと特許政策の実態

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世界中の人が薬を手に入れられるようにするための仕組みが、実は国際的な貿易ルールによって大きく制限されている。その中心にあるのがTRIPS協定だ。これは、世界貿易機関(WTO)が1995年に発効した国際的な知的財産の最低基準を定めた協定で、薬の特許保護を20年間以上義務付ける内容を含んでいる。このルールが、発展途上国でのジェネリック医薬品の流通をどう阻害しているのかを、実際の事例とデータで見てみよう。

TRIPS協定がジェネリック医薬品をどう制限するか

TRIPS協定が最も強く影響を与えたのは、薬の特許制度だ。協定が発効する前、102の発展途上国のうち23カ国しか医薬品の製品特許を認めていなかった。つまり、薬の作り方(プロセス)は特許で守られても、その薬そのもの(製品)は別の方法で作れば問題なかった。インドやブラジルなどの国は、このルールを利用して、安価なジェネリック医薬品を大量生産していた。

しかし、TRIPS協定が発効してから、78カ国が法律を変更し、製品特許を認めるようになった。結果、1995年には60カ国だった医薬品特許認可国が、2010年までに147カ国に増えた。この変化は、単なる法律の改正ではなく、何百万もの患者が薬を手に入れられなくなるという現実を生んだ。

特に問題なのは、特許期間が20年間と延長されたことだ。例えば、エイズ治療薬の価格は、ジェネリックが市場に登場する前、1人あたり年間1万ドル以上かかっていた。しかし、ジェネリックが導入された後、その価格は75ドルまで下がった。これは、WHOが2019年に報告したデータだ。つまり、TRIPSがジェネリックの導入を遅らせることで、患者の命を直接脅かしていた。

「強制ライセンス」は本当に使えるのか

TRIPS協定には、公共の健康を守るための抜け穴として「強制ライセンス」の条項がある。これは、政府が薬の特許権者に許可を得ず、他の企業にその薬を生産させることができる制度だ。エイズやマラリア、結核の治療薬を、国が自国で安価に作るための手段として、この制度は重要な役割を果たすはずだった。

しかし、実際には使いにくい。協定の第31条(f)項は、強制ライセンスで作られた薬は「その国自身の市場に主に供給する」ように定めている。つまり、インドで作った安価なジェネリックを、アフリカの国に輸出することは、原則として禁止されていた。アフリカの多くの国は、薬を生産する工場を持っていない。だから、インドや中国で作られたジェネリックが入ってこないと、薬は手に入らない。

2005年に「第6条解決策」という改正が行われ、輸出国と輸入国が協力して強制ライセンスを活用できるようになった。しかし、この制度は複雑で、2016年までに実際に使われたのは、マラリア治療薬の1回の輸送だけだった。実際には、この制度は「紙の上だけの救済策」にすぎなかった。

データ排他性:特許が切れてからも薬が買えない理由

特許が切れた後でも、ジェネリックが市場に出られないもう一つの大きな理由が「データ排他性」だ。これは、新薬を開発した企業が行った臨床試験のデータを、ジェネリックメーカーが使ってはいけないというルールだ。つまり、ジェネリックメーカーは、新薬と同じ効果があることを証明するために、自ら何年もかけて臨床試験をしなければならない。

この制度は、TRIPS協定には明記されていないが、多くの国が自由貿易協定(FTA)を通じて導入している。EUとベトナムのFTAでは、8年間のデータ排他性が義務付けられている。アメリカが結んだFTAの85%が、特許期間の延長やデータ排他性を含んでいる。結果、特許が切れた後でも、ジェネリックが市場に出るまでに5〜10年かかるケースが珍しくない。

この仕組みは、製薬会社の利益を守るための「特許の二重の壁」だ。一つは特許期間、もう一つはデータ排他性。両方を乗り越えないと、ジェネリックは作れない。その間、患者は高価な原研薬を買い続けなければならない。

インドの薬剤師が特許の山の上に立ち、ジェネリック薬を掲げ、企業の鎖が砕ける様子。

インド、ブラジル、南アフリカの戦い

TRIPS協定の影響を最も強く受けた国々は、抵抗を続けた。インドは、2005年まで製品特許を認めていなかった。その結果、世界のジェネリック医薬品の70%以上がインドから供給されていた。しかし、TRIPSの義務化に伴い、インドは法律を変更し、製品特許を認めるようになった。その直後、がん治療薬の価格は300〜500%上昇した。2008年のランセット誌の研究で、この事実が明確に記録された。

ブラジルは、HIV治療薬を自国で生産し、国民に無料で提供する政策を進めた。その結果、米国が貿易制裁を警告するという事態に発展した。しかし、国際的な批判を受け、米国は撤回した。これは、公共の健康を守るために国が特許を無視しても、国際社会が反応する可能性があるという、重要な前例を作った。

南アフリカは、1998年にジェネリック医薬品の輸入を合法化する法律を制定した。しかし、40社の製薬会社が訴訟を起こし、国際的なキャンペーンの後、ようやく撤回された。この時、MSF(国境なき医師団)は「薬は命を救うものであり、利益のための商品ではない」と叫んだ。この言葉は、今でも世界中の活動家に響いている。

TRIPS Plus:国際的な圧力の拡大

TRIPS協定は「最低基準」だが、先進国はさらに厳しいルールを発展途上国に押し付けている。これを「TRIPS Plus」と呼ぶ。アメリカやEUは、自由貿易協定の条件として、特許期間の延長、データ排他性、強制ライセンスの制限などを要求している。

例えば、EUはベトナムとのFTAで、医薬品のデータ排他性を8年間と定めた。これは、TRIPSが求める5年を上回っている。インドネシア、コロンビア、モロッコなどでも、同様の圧力がかけられている。結果、発展途上国の薬の規制当局は、ジェネリックの承認を遅らせざるを得ない状況に陥っている。Access to Medicine Foundationの2019年の報告によると、低所得国の65%が、ジェネリックの承認に遅れが生じていると回答している。

TRIPS Plusの巨大注射器が地球を貫き、医薬品を守る反乱軍と戦う幻想的な戦場。

COVID-19とTRIPSの転換点

2020年、インドと南アフリカは、パンデミックに関連するワクチンや治療薬の特許を一時的に無効にする「TRIPS免除」をWTOに提案した。100カ国以上がこの提案を支持したが、EU、アメリカ、スイスは反対した。理由は「イノベーションを阻害する」というものだった。

しかし、国際的な圧力と、ワクチンの供給不足という現実の前に、2022年6月、WTOは「部分的な免除」を合意した。これは、TRIPS協定が発効して以来、最も大きな変更だった。特許の強制ライセンスが、より柔軟に使えるようになり、輸出が容易になった。

この変化は、一時的な措置だが、大きな意味を持つ。それは、公共の健康が、経済的利益よりも優先されるべきだという原則が、国際的に認められたということだ。

ジェネリック医薬品の未来:どこに向かうのか

現在、世界のジェネリック医薬品市場は4206億ドル規模に達している。しかし、そのほとんどは高所得国で消費されている。低所得国では、80%の薬が特許切れだが、それでも手に入らない。なぜか? 特許だけでなく、規制の遅れ、輸送の問題、医療従事者のジェネリックへの不信感が原因だ。

一方で、Medicines Patent Pool(医薬品特許プール)のような取り組みは、希望の光だ。この組織は、製薬会社と協力して、HIVやC型肝炎、結核の薬の特許を共有し、ジェネリックメーカーにライセンスを提供している。2022年までに、1740万人以上の患者がこの仕組みの恩恵を受けた。

今後の課題は、TRIPS協定を「医療のためのルール」に変えることだ。特許は、イノベーションを促すための道具であって、命を奪うための兵器ではない。薬が高すぎて手に入らない社会は、正義の社会ではない。

TRIPS協定とは何ですか?

TRIPS協定は、世界貿易機関(WTO)が1995年に発効した国際的な知的財産保護の最低基準を定めた協定です。医薬品の特許を20年間保護することを義務付け、各国がジェネリック医薬品を生産するのを制限するルールを含んでいます。

ジェネリック医薬品が高価になるのはなぜですか?

特許が切れるまで、製薬会社は独占販売できます。また、特許が切れた後でも、臨床試験データの使用を禁じる「データ排他性」が、ジェネリックの市場参入を5〜10年遅らせる原因になっています。

強制ライセンスは本当に使えるのですか?

法律上は使えますが、実際には難しいです。TRIPS協定は、強制ライセンスで作られた薬を「国内市場にのみ供給」するよう定めており、輸出が原則禁止でした。2007年の改正で輸出が可能になりましたが、手続きが複雑で、2016年までに実際に使われたのは1回だけです。

インドはなぜジェネリック大国だったのですか?

2005年まで、インドは医薬品の製品特許を認めていませんでした。そのため、薬の作り方(プロセス)を変えて、安価なジェネリックを大量生産できました。この結果、世界のジェネリックの70%以上がインドから供給されていました。

TRIPS協定は今後、変わる可能性がありますか?

はい。2022年のCOVID-19ワクチンに関する部分的免除は、その兆しです。今後も、公共の健康を守るための柔軟なルールの見直しが求められています。特に、データ排他性やTRIPS Plusの規制の撤廃が、今後の焦点です。