薬の目的と期待効果を明確に伝えるための具体的な方法

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薬を正しく飲んでもらうためには、説明の仕方がすべてを決める

病院で処方された薬を、患者が正しく飲まないのは、実はとても普通のことです。世界保健機関(WHO)のデータによると、慢性疾患の患者の半数以上が、処方された薬をきちんと飲んでいません。その原因のほとんどは、薬の「目的」や「効果の出る時期」、「副作用の可能性」が、患者に十分に伝わっていないからです。医師が「一日二回、食後にお飲みください」と言っただけでは、患者は「二回って朝と夜?それとも昼と夜?」と混乱します。効果が出てこないと「この薬、効いてないのか?」と不安になり、勝手にやめてしまう。これが繰り返されると、病状が悪化し、再入院のリスクが高まります。

アメリカの研究では、薬の誤用や不服用が、年間3000億ドル(約45兆円)もの医療費を無駄にしていると推計されています。でも、これは「患者が悪い」のではありません。伝える側の方法が、患者の理解に合っていないのです。

「Teach-Back法」:患者に言わせて、理解を確かめる

最も効果的な方法は、「Teach-Back法」です。これは、医療提供者が説明した内容を、患者自身に自分の言葉で説明してもらう方法です。単に「わかりましたか?」と聞くのではなく、「さっき説明した薬の飲み方、あなたがご家族に説明するとしたら、どう言いますか?」と尋ねるのです。

この方法は、アメリカの保健福祉研究機関(AHRQ)が10年以上前に推奨し、国際的な医療安全組織も今では「必須」と位置づけています。実際のデータでは、Teach-Backを実施した患者グループは、そうでないグループに比べて薬の服用率が23%も向上しました。なぜか? それは、患者が「わかったつもり」ではなく「本当に理解した」状態になるからです。

たとえば、高血圧の薬を渡すとき、「この薬は血圧を下げる薬です」とだけ言うのではなく、「この薬を毎日飲むと、3週間くらいでめまいや頭痛が減って、階段を上るときに楽になります。でも、最初の1週間は、少しふらつくことがあります。それは薬が体に慣れている証拠です。もし、めまいがひどくて立ち上がれないなら、すぐに連絡してください」と言います。その後、「この説明、あなたが家族に伝えるとしたら、どう言いますか?」と聞く。患者が「血圧が下がって、階段が楽になるけど、最初はふらつく。それなら大丈夫」と答えたら、理解はできています。

数字は「パーセント」ではなく「実際の数字」で伝える

医師が「この薬で心臓発作のリスクを20%減らせます」と言うと、患者は「すごい効果!」と感じます。でも、実際のリスクが10%なら、20%減らしても8%にしかなりません。つまり、10人中1人が発作を起こすのが、10人中0.8人になるだけです。

オーストラリアの医師協会(RACGP)は、このような「相対リスク」の説明を避けるよう強く勧めています。代わりに、「この薬を飲むと、10年以内に心臓発作を起こす確率が10%から8%に下がります」と、絶対値で伝えるべきだと明確にガイドラインに書かれています。

患者は「20%減」より「10人中1人から0.8人に減る」のほうが、自分の体にどう影響するかをイメージしやすいのです。数字の伝え方ひとつで、患者の判断は大きく変わります。

「朝と夜」より「起きるときと寝るとき」

「一日二回、食後にお飲みください」--この言葉、実は多くの患者に混乱を招きます。

「食後」って、朝ごはんの後? 昼ごはんの後? 夜ごはんの後? 朝はパンだけ、夜はおにぎりだけ、という人もいます。薬の効果を最大限に引き出すためには、具体的な行動と結びつける必要があります。

アメリカ医師会(AMA)は、こうした説明の例を公開しています。「朝起きたら、歯を磨いたあとに薬を1錠飲んでください。夜、ベッドに入る前に、もう1錠飲んでください」。このように、日常の行動(歯を磨く、ベッドに入る)と薬の服用を結びつけると、患者は「忘れにくい」のです。

実際の調査では、このような具体的な指示をした医師の患者は、87%が薬をきちんと飲み続けました。一方、「食後」とだけ言った医師の患者は、その半分以下しか守れていませんでした。

患者が週間ピルボックスに薬を詰めている様子。朝と夜のシンボルと心拍のグラフが描かれている。

「副作用」は隠さない。むしろ、事前に伝える

「この薬は副作用がほとんどありません」と言う医師がいますが、これは逆効果です。

患者が「飲み始めて、少し頭が重くなった」と感じたとき、「副作用って言われてなかったけど…」と不安になり、薬をやめてしまう。それが、薬の不服用の大きな原因です。

代わりに、こう言いましょう。「この薬を飲み始めて、最初の1週間くらいは、だるさや軽いめまいが出ることがあります。それは薬が体に慣れている証拠で、2週間もすればほとんどの人が気にならなくなります。もし、めまいがひどくて立ち上がれない、あるいは皮膚に発疹が出たら、すぐに電話してください。それ以外の不快感は、様子を見て大丈夫です」。

副作用を事前に伝えることで、患者は「異常な症状」なのか「普通の反応」なのかを自分で判断できるようになります。結果として、薬をやめる理由が減り、継続率が上がります。

時間がなくても、2つのポイントだけを徹底する

日本の診療時間は平均15分以下。薬の説明に10分もかけられません。でも、重要なのは「全部伝える」ことではありません。

テュラーン大学の研究では、医師が1分間に130〜150語で話すと、患者の理解度が最大になります。これは、普通の会話より20%ゆっくり話す速度です。そして、一度に伝える情報は、2〜3つに絞るべきです。

たとえば、糖尿病の患者に薬を渡すとき、伝えるべきは:

  1. 「この薬は、食後の血糖を下げるための薬です。朝ごはんの前と夕ごはんの前に飲んでください」
  2. 「最初の2週間は、ちょっとお腹がゆるくなることがあります。それは薬の効果です。3週間たっても続くなら、相談してください」
  3. 「血糖値が安定してくると、疲れにくくなります。1ヶ月後、その変化を感じてください」

この3つのポイントを、Teach-Backで確認すれば、十分です。薬の作用機序や肝臓への影響、他の薬との相互作用などは、後で薬剤師が説明する範囲です。

視覚の力を借りる:薬の写真とスケジュール表

言葉だけでは、患者の記憶に残りにくいです。そこで、視覚的な支援が効果的です。

カイザー・パーマネンテの医療機関では、薬の説明のときに、薬の写真と服用スケジュール表を渡すのが標準です。たとえば、朝・昼・夜の3回の薬を飲む患者には、3つの箱に薬を分けて入れた写真を見せ、「朝はこの箱、昼はこの箱、夜はこの箱」と教えるのです。

また、薬の名前を書いた紙に「○」をつけて、飲んだ日をチェックできる「服薬カレンダー」を渡すのも効果的です。患者が「今日の薬、飲んだっけ?」と不安になるのを防ぎます。

サンフランシスコ大学の研究では、この視覚的支援を加えたグループの、30日以内の服薬率が62%から84%に跳ね上がりました。

薬剤師がAI分析を表示したタブレットを手に、患者に服薬カレンダーを渡すシーン。

「あなたの言葉」で、患者の不安を拾う

患者は、薬の説明を受けるとき、不安や恐怖を抱えています。「この薬、依存しない?」 「長く飲むと体に悪い?」 「もう治ったのに、なぜ飲まなきゃいけないの?」

こうした感情は、言葉にされないまま、無視されがちです。でも、医師が「それ、不安ですよね」「たくさん薬を飲むのは、大変ですよね」と、患者の気持ちをそのまま言い返すだけで、信頼関係は変わります。

「この薬、飲みたくないです」と言われたら、「それは、どうしてですか?」と聞くのではなく、「薬を飲むのが怖い、って感じてるんですね」と、患者の言葉を繰り返して認めてあげるのです。

ハーバード大学のトレーニングプログラムでは、この「感情の反映」を「共感の言葉」として、毎日の診療に取り入れるように指導しています。患者が「先生、ちゃんと聞いてくれた」と感じたとき、薬を飲み続ける意欲は自然と高まります。

薬剤師の存在は、医師の「力」になる

複数の薬を飲んでいる患者(5種類以上)は、薬の飲み方や副作用の管理がとても複雑です。医師が15分で全部説明するのは、現実的ではありません。

クレーブランド・クリニックのデータでは、薬剤師が薬の服用管理を担当した患者は、入院率が22%も減りました。薬剤師は、薬の効果や飲み合わせ、副作用のリスクを、専門的に説明できます。

日本でも、薬局での服薬指導は当たり前ですが、病院内に薬剤師を配置し、診察の後に「薬の説明コーナー」を設けることで、患者の理解度は飛躍的に向上します。医師が「薬剤師に詳しく説明してもらいますね」と紹介するだけで、患者は「専門家が見てくれる」と安心します。

これからは、AIが「会話」をチェックする時代に

2025年からは、アメリカの医療制度で、薬の説明の質が「報酬」に直結します。メディケアの報酬制度(MIPS)では、医師が「患者が薬の目的と飲み方を理解した」ことを記録しないと、報酬が減ります。

そのため、病院の電子カルテ(EHR)には、薬の説明のチェックリストが標準搭載され始めています。エピック・システムズの2023年版では、「患者が薬の目的を言えるか」「服用タイミングを確認したか」「Teach-Backを実施したか」を、自動的に記録する機能がついています。

さらに、マヨクリニックでは、AIが診察の会話をリアルタイムで分析し、「Teach-Backが漏れていた」「副作用の説明が不足していた」と教えてくれるツールを試験中です。このAIは、92%の精度で、医師が見落とした説明の隙間を検出できます。

これは「監視」ではなく、「支援」です。医師が1人で頑張るのではなく、システムがバックアップしてくれる時代が来ています。

薬の説明は、医療の質そのもの

薬を正しく飲んでもらうためには、特別な技術や高額な道具は必要ありません。必要なのは、

  • 具体的な行動」で説明する(「朝と夜」ではなく「起きたときと寝るとき」)
  • 数字は実際のリスクで伝える(「20%減」ではなく「10人中1人から0.8人へ」)
  • 副作用は隠さず、事前に伝える
  • 患者に言わせて、理解を確認する(Teach-Back)
  • 感情に寄り添う言葉をかける(「怖いですよね」「大変ですね」)

これらの方法は、どれも1分以内にできる小さな工夫です。でも、その小さな積み重ねが、患者の命を守り、医療費を削減し、医療の質を上げます。

薬は、医師が渡すものではありません。患者が「自分のために飲む」ものです。そのために、医療提供者が、患者の言葉と気持ちに寄り添い、わかりやすく伝えること--それが、真の医療の第一歩です。

薬の説明でよくある間違いはなんですか?

よくある間違いは、専門用語を使うこと(例:「PO BID」)や、曖昧な表現を使うことです(例:「指示通りに飲んでください」)。また、効果を「相対リスク」で説明するのも誤解を招きます。「20%減る」ではなく、「10人中1人が起こすリスクが0.8人に減る」と、絶対値で伝える必要があります。さらに、患者が「わかった」と言っただけで説明を終えるのも危険です。Teach-Backで、患者の言葉で説明させないと、本当の理解は確認できません。

Teach-Back法は、本当に効果があるのですか?

はい、効果は科学的に証明されています。国際的な医療安全組織であるJoint Commission Internationalの報告では、Teach-Backを実施した患者の薬の服用率が23%向上しました。アメリカの医療機関での実証研究でも、この方法を導入した病院では、30日以内の服薬率が62%から84%に上がりました。これは、単なる「説明」ではなく、「理解の確認」が、患者の行動に直結するからです。

薬の飲み方を忘れてしまう患者にどう対応すればいいですか?

薬の飲み方を忘れてしまう患者には、視覚的なツールが効果的です。薬の写真と、朝・昼・夜の服用を示すカレンダーやボックスを渡しましょう。また、毎日の行動(歯を磨く、朝食を食べる)と薬の服用をセットにして「朝食のあとに1錠」と伝えると、習慣化しやすくなります。スマホのアラームを使うように勧めるのも良いですが、高齢者には「紙のカレンダー」のほうが使いやすいことが多いです。

薬の副作用が怖いと患者が言ったら、どう答えればいいですか?

「怖いですね」「不安な気持ち、よくわかります」と、まず患者の感情を認めてください。その後、「この薬で、よくある副作用は○○で、それは最初の1週間だけです。でも、もし○○が出たら、すぐに連絡してください」と、具体的な情報と「どこまでなら大丈夫か」を明確に伝えるのがポイントです。副作用を否定せず、事前に説明することで、患者は「異常」か「普通」かを自分で判断できるようになります。

診察時間が短いので、薬の説明に時間が取れません。どうすればいいですか?

時間がなくても、重要なのは「量」ではなく「質」です。一度に伝えるのは、2〜3つのポイントだけに絞ってください。たとえば、「この薬の目的」「いつ効果が出るか」「どんな副作用が出るか」の3つだけ。説明の速度を少し遅くし(1分間に130〜150語)、Teach-Backで「あなたが家族にどう説明する?」と確認すれば、短時間でも十分な理解が得られます。薬剤師や看護師に補助してもらうのも、現実的な解決策です。